天狗田代々神楽 鶏舞 第37回大東町郷土芸能発表会
さて本日は、第37回大東町郷土芸能発表会から天狗田代々神楽で鶏舞です。
その前に天狗田代々神楽さんの由来について定本より
「天狗田代々神楽は水山流という。先代は田河津村高金の佐藤金治郎先生、二代は奥玉村の藤野金作、藤野為定両先生の指導を受けた。
大正一四年、奥玉立石の及川卯吉が木材運搬の為天狗田に働きに来た。及川卯吉は田河津高金の神楽の大先生である佐藤金治郎師匠の名代(弟子)であった。
こうしたことから及川卯吉師匠とその弟子及川正、渡辺弘等の昭和六年、西磐井厳美村水山神楽との交流もあり、水山流神代
皇代御神楽系演誼本もある。初代庭元小山辰治、二代小山綾之助、三代小山綾一、四代小山滑男、五代熊谷平に受け継がれてきた。」
ということです。
ちょうど1年前に一関市教育委員会の南部神楽調査研究事業の一環で、天狗田代々神楽が復活上演会を開催しました。
その時の様子は拙ブログ参照下さい⇒天狗田代々神楽 鶏舞@天狗田代々神楽上演会
天狗田代々神楽は、4年ほど前に神楽組のメンバーが相次いで亡くなったことから活動が休止状態となっていたが、一関市教育委員会の働きかけもあって、次世代への継承に取り組み、復活公演にこぎつけたことでしたが、1年たった今も、元気に活動しているのがなによりです。
この日は、若手とベテランの混成で鶏舞でしたが、こんな風にコミュニティに根付いた活動が定着していけば神楽も継続されるものと、その努力に敬意を表するものです。
さて、天狗田代々神楽の経緯についてもう一つ「大東町の民俗芸能」より
「天狗田新田神楽のはじまり
大正11年、及川輝家氏が天狗田部落に石屋職人として来た。神楽の話になり、今川丑五郎(屋号ノンデボラ)の世話により大正11年の夏頃より輝家氏を師匠に神楽練習が始まった。時々摺沢より岩次郎という学校の先生が来て協力した。
練習の成果もよく、神楽道具が必要となり、京津畑より譲り受けた。当時の価格は60円とか70円くらいといわれている。
その後、「牛追い」に来た奥玉村及川卯吉が、細葉の渡辺半兵衛氏宅に宿泊した。大正14年のことである。神楽の話になり、渡辺氏が世話をし卯吉氏を師匠に頼み少数の若者を集めて神楽練習を始めたところ、だんだん人員が多くなり佐藤利四郎宅に場所を移した。
その頃は電気も道具もなく、焚き火の明かりで酒樽や戸等を叩きながら練習した苦労話が聞かれる。」
大正から昭和初期の佳き里暮らしの情景が目に浮かぶようなエピソードです。
末永い伝承を望みます。
動画でどうぞ。
