鵜住居虎舞 @第7回全国虎舞フェスティバル
さて本日は、第7回全国虎舞フェスティバルから鵜住居虎舞です。
鵜住居虎舞の由来について
鵜住居虎舞に伝わる銅板が巻かれた笛には「巳之松」と記されてあり、これは江戸末期のものと推測されている。
さらに地元の鵜住居神社祭礼の先払いとして神輿の船頭で踊られてきたとから江戸中期の創始とも言われている。
明治29年の三陸津波により被災して地元で踊ることができなかった時期には、沼崎宇兵、弟子両川六郎等が近年まで門前虎(錦町虎舞)へ応援に出かけていたという。
現存する太鼓には明治11年の年号が記録されているが年代不詳とのこと。
遊び虎では肩乗りも披露してくれました
跳ね虎では何故か獅子あやし風に道化が出ます。
これがまた、浜の囃子舞風でもあり、賑やかな中に目出度さ満点取った感じです。
続いては、演目紹介にありましたが笹喰みの代わりに手踊の数々を披露してくれました。
鵜住居虎舞の特徴として手踊が豊富だということですが、これは昔から虎舞とは別に、予祝や祝の席での余興芸が、やがて祭礼や正月の門付け芸になり、さらに虎舞とともに賑やかに行われるようになったものと推察する。
最初は柄杓舞
七福神舞風の囃子唄に合わせて柄杓で福を掬って屋敷の旦那様に献じるというものです。
〽 しゃくし舞はミッサイナ~
次は豊年舞
門付けでは手に花あるいは竹を持って、「稲の花」を持って踊ります。豊作の予祝芸です。
囃子唄は拳囃子の節です。
〽 今年しゃ 良い年 ミロクの世中 柄は七尺 穂は五尺 稲穂が揃って萬作だ
次は嬉しき舞です
虎舞で門付けする際に新婚の家に舞い込んだ時や結婚式に出したということです。
赤ん坊を抱いた踊り手が、舞い込んだ家の姑様に孫が目出度く生まれましたと人形を手渡すというものです。
子孫繁栄の予祝芸能とでも申しましょうか。
〽 三番目の嬉しきに 男息子もうさげて こらほどの宝を 誰さ譲るべ
と踊り手はステージを降りて 場内で手を挙げた客に人形を手渡します 目出度い!
最後はお馴染み 甚句です
浜どごのわゲスたずは みんなしてこの甚句が踊れるっつ カッコイイな~
動画でどうぞ。
