金津流鶴羽衣鹿踊 女鹿かくし @第33回稲瀬芸能文化まつり
さて本日は、稲瀬芸能文化まつりから金津流鶴羽衣鹿踊で女鹿かくしです。
その前に金津流鶴羽衣鹿踊さんの由来について「江刺の芸能」から抜粋
「慶長12年、仙台城下七北田の藤九郎から鶴羽衣の初代萬吉が伝授を受けた。その後、三代萬吉(俗名要吉)が亨保3年に南部仙台御境番所の武士頭として赴任していた仙台藩士犬飼清蔵から伝授されたと伝えられている。
巻物は犬飼清蔵から宮城郡国分松森村の嘉左衛門に譲られ、小野利源太が文化8年にその巻物の筆写を許され、その一巻を文化11年に萬吉が授与されている。
そして息子の喜四郎へ継がれたが、その門弟の一人に伊三郎という大変踊りの上手な人がおり、踊りの師匠として地元鶴羽衣は勿論のこと、三照や広瀬歌書にまで広く伝授したことが墓石に記されている。
供養碑の中で最古のものは文化5年のもので、巻物が伝授される以前から踊られていたことがわかる。
当踊り組は慶長年間以来絶えることなく継承されてきたことにより昭和38年に岩手県無形民俗文化財に指定されている。」
とありますが、鶴羽衣鹿踊は安永年間に伊三郎が大原又助から行山流山口派(上山流)を伝授されたことから、若干行山流の趣が現在でも残っているという。
演目の女鹿かくしは女鹿をめぐって牡鹿が争奪するという内容ですが、各踊り組によって細かな点で相違があるようです。
女鹿が中央前に進み出て座ると脇鹿(脇狂い)が二頭そばに寄ってきてガードします。
そこへ牡鹿(一つ狂い)が女鹿を探してやってきます。
しかし、牡鹿がササラの間から女鹿を覗こうとすると二頭がその角でガッチリとガードする様が壮観です。
最後には女鹿を隠してしまいます。
女鹿を見失った牡鹿は哀調を帯びた長歌を唄います
〽 これのお庭で 雌獅子を隠しおかれ 隠しおかれた
唄の切れ目にササラを伏せるのが何とも風情があります。
動画でどうぞ。
