金津流石関獅子躍 案山子踊り @第33回稲瀬芸能文化まつり
さて本日は昨日まで気仙地方の鹿踊を連載しましたので、鹿つながりということで、先日13日に行われた江刺区稲瀬の芸能文化まつりから金津流石関獅子躍で案山子踊りです。
由来について、私がごちゃごちゃ言うより、ここの有名な中立さんが書いたと思う当日プログラムから抜粋します。ちなみに、中立の安部さんは鹿踊に関して驚異的な調査を続けてその伝承について解明を試みておられます。
石関獅子躍HP参照 ⇒ http://www.ishizeki-shishi.net/
石関獅子躍は安永8年(1779)に宮域郡国分松森村(現宮城県他台市泉区松森)の浦田源十郎から旧江刺郡石関村(現奥州市江刺区稲瀬)肝煎の小原吉郎治に伝授されたのが始まりである。
その後、寛政5年(1793)7月に仙台藩士犬飼清蔵が相去御番所に赴任していた際にも直接伝授されている。
さらに次橋(現大崎市松山次橋)の遠山休左衛門からも伝授され「獅子躍免之事」を受けている。
昭和初期まで恒常的に踊られてきたが中断、平成13年に保存会を結成し、復活指導が始まり10年目の平成23年9月に金津流石関獅子躍第14代として正式に相伝され完全復活した。
平成24年10月に奥州市指定無形民俗文化財になる。」
昨日まで書いていたけせんのたから2016で講演した及川宏幸氏が東北民俗誌に「金津流鹿踊の系譜」を連載しているが、その調査研究にはこの石関獅子躍の安部さんが豊富な知識と情報で多大な貢献をしておられます。
ちょうど今は第50輯で石関系統の金津流を取り上げています。
さて、演目は案山子踊りです。
庭の真ん中に立つ案山子を見て中立が何者かと探りをいれます
東北の鹿踊の起源説の一つには、山から降りてきて田畑を荒らす獣(かのしし、いのしし)を折伏し、もって豊作を予祝する役目があったのではということがある。
この案山子踊や鉄砲踊には、鹿踊の中でもそういった獣的な部分がよく表されているとともに、鎮魂祈願の意味合いの深い鹿踊のなかにあって娯楽的要素が求められたのかと推量させる。
しかしながら、この案山子踊りでは、人間の策を看破してついには案山子の笠を吹き飛ばして喜び跳ねる様が描かれている。
ところで、今度の日曜日に金津流三団体による公演があります。
皆様こちらへもお出かけください。
動画でどうぞ。
