栗原神楽 河津三郎祐泰最期の場 @第39回平野神社奉納神楽大会
さて、本日は第39回平野神社奉納神楽大会から栗原神楽で河津三郎祐泰最期の場です。
栗原神楽さんはこの日の大会で見事優勝いたしました。
栗原神楽さんの由来については定本より
「明治一二年三月三一日、栗原悦之助が神道事務局に神楽の届出し承認を得た文書がある。
岩手県萩荘村市野々の自鏡山山伏神楽の指導を得たといわれている。
大正時代に復活、中断した。昭和五年、栗原の佐藤正吉が指導し再興する。その弟子代表の佐藤左吉に引継がれ現在に至っている。初代庭元栗原悦之助が中断後を再興した。」とあります。
現在の代表者は佐藤敬さんです。
演目の河津三郎祐泰最期の場は、曽我兄弟物語の冒頭部分の一場面です。
工藤左エ門尉祐経は、自分の親が殺され、しかも領地まで奪われた仇敵河津親子を家来の八幡三郎行氏に暗殺するよう命じます。
八幡三郎行氏は、大見小藤太成家とともに富士の裾野の巻狩に出陣した。
河津三郎祐泰です。
八幡三郎は、河津三郎祐泰を富士の巻狩の帰路で待ち伏せし、遠矢に掛けて射殺します。
祐泰の後を進んでいた、父祐親と弟祐清が駆けつけますが、既に虫の息。
河津三郎祐泰は、今わの際に、最期の願いとして妻子の養育を頼み息を引き取ったという場面です。
そして、物語は河津三郎祐泰の息子の一萬丸と箱王丸(曽我兄弟)の仇討ちの物語へと続いていきます。
動画でどうぞ。
