平形神楽 安倍保名捕らわれの場 @第39回平野神社奉納神楽大会
さて本日は、第39回平野神社奉納神楽大会から平形神楽で安倍保名捕らわれの場です。
その前に平形神楽さんの由来について「栗原伝統伝承芸能記録保存」から引用します。
「昭和24年1月平形地区(栗原市金成津久毛)の有志が集い、渡邉章一氏を庭元に平形神楽を結成した。そして築館城生野神楽の二階堂清一郎氏を師匠に招聘し、黒沢流南部神楽を習得して活動を行っていた。
しかし、会員の高齢化や後継者難等により解散の止むなきに至った。(昭和38年)
そこで、平成12年2月地元の有志が話し合い、この神楽を再興し保存伝承すべく平形神楽保存会を結成、地元の神楽師の方々の指導を受けながら練習を重ね、現在地区の秋祭りやイベント等に参加するなど活動を展開している」
ということです。復活初代会長は髙橋勇一郎、現在は 髙橋隆光さんです。
今からおよそ千年程前、現在の大阪、阿倍野と呼ばれる所に、阿倍仲麻呂の7代の孫にあたる阿倍保名という人が居た。保名の父、保秋は、その地方の豪族であつたが、悪人の議言にかかつて所領を没収されてしまう。そこで優しい心をもつた優れた若者の保名は、家名再興を願つて和泉の国の信太大明神も日参しておった。ある日慢幕を張り、供の家臣と酒宴を催し、休息していたところに猟大に追われ助けを求める白狐が飛び込んできた。情け深い保名は逃げてきた自狐を匿い助けることにした。狐狩りをしていたのは、河内の国の石川右衛門尉恒平という者で、兄が朝廷に仕えて羽振りがよいので、右衛門ではなく悪右衛門だと言う位、平気で悪事を重ねる占い師でもあつた。
信太ヶ森から追い出し、逃げてきた自狐を見ていない筈はないと右衛門らと言い争いになり、保名は捕われの身となり折檻を受けているところに、正覚庵の住職、来萬和尚が現れて仲裁に入り、保名の命を救つたのだった。
この和尚こそ保名に匿われて命拾いをした白狐だつた。仲裁にあたり、「例え鳥蓄類として、生あるものをむやみに殺生しない道理は、恒日頃修行に励む仏法の教えなる」と保名の心中を吐露し、右衛門を説得したのだつた。
和尚は元の狐に戻りこの場に現れたいきさつを語ります。
動画でどうぞ。
