皿貝法印神楽 五矢 @ 第39回石巻・桃生・牡鹿地方神楽大会
さて本日は、第39回石巻・桃生・牡鹿地方神楽大会から皿貝法印神楽で五矢(ごや)です。
その前に、皿貝法印神楽さんの由来について宮城県の民俗芸能1より
「この神楽の由緒によると元和2(1616)年8月、皿貝の修験成就院(本山派)9代久峰重光が京都聖謹院宮入峰の砌り、能を修得し古事記を基として神楽を編み出したものと伝えているが、これは明らかに誰かが権威づけに由来譚を作ったものである。皿貝の法印神楽が何時どこから伝承したものかは不明であるが、桃生十法印のうちに皿貝の中島に良泉院があり、そことの関係があったかも知れない。明治以降に一時廃れかけたが、姫舞を樫崎の榊田法印から、荒舞を橋浦の女川村高橋法印から習得したともいわれる。現在の舞型を見ると桃生神楽系と思料される。神楽本は写本であるが、古い修験文書は現大日孁神社にて所蔵している。
古面が25面、新作とみられるもの6面がある。
皿貝組から他に相伝した神楽組は河北町福地と河南町鹿又といっている。皿貝の伝承者は12人、うち青年は3人であるが全体的に壮年層である。古老からも伝習をしている。現在直ちに演舞できるもの15演目である。
「白露」は陰陽どちらかの舞人に障りあるといって忌み、「荒神」も忌曲としている。
舞台の特色として舞台後方に一段高く楽座を設けている。もとは2尺ほども高くしていたというが、現在でも5寸以上は段を付けていて広さは半間に2間である。本山派であるので胴1つに笛が2管を基準としている。舞台の組材は総桧としている。次の神社祭礼を主として他の招請にも応じている。
旧6 月1 5 日夜 皿貝 大日孁神社
9 月9 日 北上町本地 鹿島神社
旧9月25日 河北町馬鞍 天神社」
とのことです。現代表は佐藤秀平さんです。
さて、演目の五矢は、蘇民将来譚です。
高天原を追われた素戔嗚尊が空腹のため民家に食を乞うたところ、裕福な巨旦の家では断られたが、貧しい蘇民の家では粗末ながらも食を得ることができたため、その家に善き教えを与えたということです。
素戔嗚尊が出て四方拝以下を舞い神諷
〽 これより蘇民将来子孫の家と門に掲げれば疫病を除くべし
また境を越えんとするに榊に紙垂をかけ、道饗して送るべし
また六月に至りて、青馬を造り、田畑に繋げば、天王乗り廻りて作物の衆毒を祓い
これ今の世に伝え来て神代の古事なり
次に臣下の今貞が扇と弓矢を持って素戔嗚尊の前に出ます
手に持つのは五本の矢、これを素戔嗚尊に渡します。
御神楽拍子の中、素戔嗚尊が五行の矢で四方と天に矢を討ち放って鬼神魔王を祓います。
今貞が「我が君御弓の疲れ御座すらん、御酒一つ勧めばや」とて一献捧げる場面です。
この場面で、今貞自身が酒盃を持ってきて素戔嗚尊に進めるという風になっている神楽団体もありますが、こちらでは烏帽子に白衣の係がこの役をしながら神謡もかけます。
〽 竜宮の中の瓶なる辛御酒 鑑試みて君に参らす
西の海 其浦々の悦昆布 汐試みて君に参らす
最後に御神楽を舞って素戔嗚尊、今貞の順に幕入りとなります。
動画でどうぞ。
