大原神楽 田村一代@ 第41回胆江神楽大会
さて本日は、第41回胆江神楽大会から大原神楽で田村一代です。
その前に、大原神楽さんの由来について定本より
「西磐井郡厳美村山谷入道の佐藤辛氏が衣川村大原に入婿し高橋姓を名乗る。
高橋辛は三輪流山谷神楽の舞人であったので、高橋寿七が庭元となり高橋辛師匠の指導で大正10年大原神楽を創設した。
戦前、戦後中断していたが、昭和四二年高橋辛、小坂盛雄両師匠の指導で現在の大原神楽が復活した。
初代庭元高橋寿七、11代高橋正名、佐藤光男は三代目である。」
とありますが、現在の代表は高橋辛師匠のご子息高橋末夫さんです。
南部神楽の田村三代は奥浄瑠璃の「田村三代記」からの台本とみられているが、その「田村三代記」も御伽草子の「鈴鹿の草子」や古浄瑠璃の「坂上田村丸誕生記」などの影響を受けているという。
これらは室町期の成立とされ、奥浄瑠璃はその後の江戸時代に入って仙台領内に根付いて盲人の門付芸として大衆に愛された。
その田村三代記を三人の主人公ごとに一段ずつに語りモノと同形式で神談議本を創生してできたのが、田村一代(利春)、田村二代(利光)、田村三代(利仁)です。
一代目は将軍・二条大納言田村利春のことです。
「帝より寵愛を受け、天人を呼ぶという天楽横笛の吹奏を所望されたがこれを断ったため、大日山の麓、春日山に流される。
聞こえるのは峯の松風、沢の清水の音ばかり。
深山のあまりの淋しさに笛を吹き慰みとしていると、その音色にみせられて逾江ケ池に棲居をなす竜女が美しき女に身を変え利春
の前に姿を現した。
二人は契りを結び、ほどなく懐胎の身となった息女は逾江ケ池の真中に十丈の産小屋をしつらえこもる。
百目百夜産小屋をのぞかぬように止め置かれたが、九十九日目の夜、利春はついに約束を破る。そこには蛇身となり十丈の産小屋を七重に巻き十六の角の間に玉のような男子を抱く変わりはてた妻がいた。
あさましき姿を見られた竜女は、我が子を利春に託し、再び逾江ケ池に姿を消した。
その折、母の形見として「神通の鏑矢」を授かった男子が、長じて、二代・利光となる。」
利春は、せめて我が子が七つになるまで、姿を人間の女に戻して育ててくれないかと問いかけますが、それは叶わないことといい、形見を残して消え去ります。
動画でどうぞ。
