銀鏡神楽 荘厳、柴荒神、弊指 全国神楽大会ハヤチネ2016
さて本日は、全国神楽大会ハヤチネ2016から銀鏡神楽です。
銀鏡神楽の由来について、当日パンフレットより
「銀鏡の中心地、上原(かんばる)遺跡からは晩期縄文時代の住居跡が発見され、先史時代からすでに土着民が居住していることがわかります。
中世以後は、肥後菊池氏の子孫米良氏の領するところとなったが、南北朝時代征西将軍宮懐良親王の一子爵松丸(良宗王)を奉して天氏重為(あめししげため)が、公家武将達を引き連れ名を変え跡を隠し密かに米良山に潜人。山中の不如意な生活の慰安の為に、京都で舞っていた舞や能をよくしていたとの伝承があります。
そして、それらの人々の信仰の対象となったのが銀鏡神社です。
当社は長享3年(1489年)3月16日天氏重次公の創建になるものである。神楽は前述の如く公家武将たちが舞っていた能や舞
と、古くから先住民達の間に舞い継がれていた幾つかの神楽が組み合わされ、それに銀鏡神社々家の先祖浜砂淡路守重賢という人が、大和年間に鵜戸山道場で習得した「鵜戸神楽」と「鵜戸鬼神舞」を持ち帰り、これの影響を受けて発達したものが銀鏡神楽で「鵜戸門流」の神楽といわれているのもこのことに起因します」ということです。
銀鏡神楽は 一番、星の舞~三十三番 神送りまで三十三番があるとされています。
12月14日に奉納する神楽は、周辺の神社から神々を迎える「神迎え」の儀式で始まり、午後7時より式典の後神楽が夜通し奉納されるという。
銀鏡神楽 式7番 幣指
荘厳の舞は、銀鏡神楽では式16番でクシイワ・トヨイワの両神を命づけした祓えの将軍舞ということです。
柴荒神(シバコウジン)は「はらかき荒神」ともいわれ、宇宙の成り立ちの根本を自然のありようによって説く。
動画でどうぞ。
