達古袋神楽 弁慶安宅の関 @全国神楽大会ハヤチネ2016
さて本日は、全国神楽大会ハヤチネ2016から達古袋神楽で弁慶安宅の関です。南部神楽です。
その前に、達古袋神楽さんの由来について定本より
「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」
とあります。現在の代表は小岩恭一さんです。
胴取りは小岩弘征さんです。
全国神楽大会に南部神楽の代表として出演です。感慨深いものがあります。
南部神楽とは、岩手県南、宮城県北地方に広く分布する神楽で、旧修験が行っていた山伏神楽を、幕末から明治初期にかけて農民が受け継ぎ、奥浄瑠璃や歌舞伎などの題材を取り入れて娯楽性を高めて爆発的に流行した独特の神楽です。
舞手自らが唄うようにセリフを語り、神話に始まり源平物語などの戦記物等を芝居を見るがごとくの展開で観衆を引き寄せる魅力があります。
この日の演目は、達古袋神楽の十八番、弁慶安宅の関です。
一の谷、壇ノ浦の戦で戦功を挙げた義経に対し、部下の讒言によって兄頼朝が義経追討の宣旨を出します。
義経さん 舞手は女性です
弁慶さん 舞手は会長さんです
義経一行が安宅の関を勧進山伏に身を替えて通ろうとします。
しかし、義経追討の宣旨がある中で、関守の富樫左衛門は厳しく詮議し、山伏ならば勧進帳を読み上げよと迫ります。
弁慶機転の勧進帳空読みです。
それでも疑いの晴れない富樫に対して、弁慶は主君に手を挙げて折檻し、身の潔白を表します。
その様をみて堪らず富樫は弁慶の手を止めます。
義経と見悟りながらも武士の情けで知らぬふりをします。
富樫のセリフに会場からは喝采が沸き起こります。
〽 ここで義経殿に縄を掛けるのは容易いが ここが武士の情けの掛けどころ
無事に安宅の関を通るも、弁慶は主君への仕打ちに切腹で詫びようとしますが、義経はそれを押し留めます
〽 屋島の戦で継信を 吉野の山では忠信を失い この上弁慶までも失ったら 他に頼るものとて誰も無し
涙涙の愁嘆場です
達古袋神楽さん優勝です!
動画でどうぞ。
