嵯峨立神楽 三宝荒神 @金成延年閣公演
さて本日は、金成延年閣公演から嵯峨立神楽さんの三宝荒神についてです。
その前に嵯峨立神楽さんの由来について
「嵯峨立神楽は、「修験道賀多羽流」と称し弘化年間(1844~ 48)嵯峨立普慶院第二十四世佛心得宗大和尚により伝承されたと言われていますが、中田町上沼八幡山にある「上沼加茂流法印神楽」の由来書には、江戸時代中期、中田町内にある六ヶ院の法印たちにより神楽を執行し、文化・文政の頃には、東和町錦織や嵯峨立の法印も加わり十三ヶ院で神楽を演じていたとの記述があり、現存する古い神楽本には上沼や浅部の法印神楽と同じ演目が残されています。
明治初年、神仏分離令により修験宗が解体され、法印神楽の継続が困難となり、明治初期に当時流行していた南部神楽を取り入れ変容したものと思われます。
他の南部神楽では決して演じることのない法印神楽のみに伝わる「笹結び」や「宇賀玉」などの演日が嵯峨立神楽には伝承されており、法印神楽の芸風を色濃く残したきわめて貴重な南部神楽となっています。」
ということです。
現在の代表は小野寺高夫さんです。
三宝荒神は仏・法・僧の守り神である猿田彦、水神、明神の舞ということです。
最初に荒方面をつけた水神・明神が出て手を組むなど巡りつつ舞います。
いわゆるサンヤ舞の古態のような印象を受けます。
次に猿田彦が現れ、水神・明神と対峙して問答になります。
「そこもとは誰御神にて候か」
「我こそは猿田彦大明神たり」
「それならば我々と千代の御神楽舞い遊び給えやのう」
早御神楽を一舞して装束を改めます。
嵯峨立神楽さんの三宝荒神の崩しでは最初に切麻の紙を播いてから剣舞にはいるのが特徴です。
修験道賀多羽流の神楽は祈祷色の濃い内容となっていますが、山伏神楽の片鱗をも見せる内容となっています。
動画でどうぞ。
