南部笹流大平神楽 朝見ずの里宿乞いの場@第39回みちのく神楽大会
さて本日は、第39回みちのく神楽大会から南部笹流大平神楽さんの朝視ずの里宿乞いの場についてです。
その前に大平神楽さんの由来について
「明治初年に岩手県胆沢郡衣川村上衣川から若柳に婿入りした高橋忠右エ門が間海の田代芳蔵らに指導した。
梅崎神楽と称した。
明治18年にその田代芳蔵から大平の鹿野巳代吉、明治25年に鹿野吉三郎に伝授された。
初代庭元田代政之進、二代鹿野吉三郎、三代鹿野信一、四代目は鹿野一男である。
戦後に後継者難で長い間中断したが、昭和58年に不動堂西館青年会が中心となり、当時最期の神楽師である佐藤七右衛門、及川千次郎の指導のもとに再興し、平成元年三月一日、志波姫町教育委員会より、無形民俗文化財第一号の指定を受けた。」
現在の代表者は猪狩賢一さんです。
演目の朝見ずの宿とは、美濃と近江の国の境で、とある宿に入った客が次の朝に出て行く姿が見えないといった噂から名付けられた宿で、つまりは宿泊客が夜盗に襲われる宿ということらしい。
またの題名を道行などとも称する。
大平神楽さんでは、幕出し歌がかかります。
劇舞ではありますが、伝統的な幕出し歌を掛けるところに思い入れを感じます。
〽 センヤーハー 義経がホー 朝見ずの里へと 急ぐヨーホー
冒頭に義経と女御が渡り拍子で舞出て、早御神楽で鮮やかに舞います。
さて、京から奥州平泉へ向けて旅をしていた義経が田島の里の一軒家に宿を乞うことから話が始まります。
しかしながら、宿の女御は「只今は主人が留守のためお泊めすることができません」とにべもなく断ります。
ここで義経の口説きとなります。
〽 この世に三首の例えあり
竹にからまりし朝顔の花でさえ 蝶々に一夜の 宿を貸す
水に浮き出す 浮き草も 蛍に一夜の 宿を貸す
また 駒に踏まれる芝草でさえ 夜露に一夜の宿を貸す
それでも宿を貸さぬとは あまりあまりに情けなや~
そこへ夫が帰ってきます。
奥の部屋に人の気配がするがどうしたことかと女房に詰め寄ります。
高貴なる若君とあらば金品を巻き上げようぞと義経の部屋に討ち入ります。
そこで義経と争いになりますが、義経のただならぬ気配を察した盗賊は自らの本名を名乗ります。
自らは伊勢三郎義盛と申します、これよりは義経殿の配下となり奥州平泉までお供いたします。
最後はめでたく御神楽で舞納めます。
動画でどうぞ。
