瀬峰神楽 熊谷・敦盛首取りの場@第39回みちのく神楽大会
本日は瀬峰神楽さんの大蛇退治についてです。
その前に、瀬峰神楽さんの由来について
「現在の瀬峰は、明治の中頃まで藤沢地区と大里地区に分かれていた。
藤沢地区には南部神楽の流れを汲む二つの藤沢神楽が存在していた。
氏家慶喜氏と細川勇三郎氏をそれぞれ座頭に活動していた。しかし両神楽とも後継者に恵まれず、大正の中頃には自然消滅状態となり、実に五十数年もの間途絶えていた。
昭和四十六年四月、当時の瀬峰町文化財保護委員の木村二郎氏が、藤沢神楽を復活させようと各方面に提唱していた。おりしも同年十二月十八日の河北新報に、登米市中田町宝江新田の「舘神楽」が紹介されていた。それによると舘神楽の元祖は、瀬峰の藤沢神楽であると判明したと書かれていた。これを機に木村氏は更なる呼びかけをし、舘神楽に指導を仰いで練習を重ね、昭和五十年一月十九日「瀬峰神楽保存会」(初代会長鎌田里見、会員十三名)の名称で設立発足し現在に至っている。」
保持する主な演目は、八幡舞、大蛇退治、一の谷合戦、屋島合戦、義経東下り、橋弁慶、朝不見の里、葛の葉子別れ、軍勢借り 等となっています。
現在の代表は門脇治夫さんです。
幕出し唄がつきます
〽 センヤーハー 敦盛がよ~ 西国指してぞ 早急ぐホー 早急ぐホー
無冠の太夫 平敦盛です
青葉の笛を取りに戻るところを源氏の猛将熊谷次郎直実に見とがめられ、組み伏せられます
しかし、昔世話になった平経盛の子と知り、逃してやります。
それを見ていた源氏方の平山武者所が見咎め、平家に二心あるならば、平家の武将諸とも討ち取らんと呼びかけます。
この時、平山武者所が舞台下から呼びかける演出になっています。昔ながらの設定です。
敦盛は再び熊谷次郎直実に捉えられ、首取りの場面となります。
ここでの念仏が泣かせ所です。
熊谷次郎直実は、敦盛の烏帽子と面で首を取った証とします。
笹流の舞ぶりと演出を御覧ください。
動画でどうぞ。
