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2016.07.04 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

阿久戸神楽 御所の五郎丸陣屋巡り @第29回あやめ祭り神楽大会

さて本日からは先の日曜日に宮城県栗原市一迫の山王史跡公園あやめ園で開催されました第29回あやめ祭り神楽大会のリポートとなります。

今回で第29回を迎えたということで、来年の30回は記念すべき大会にしたいということでした。

今日もテントの中は満席の賑わいです。



さて、トップバッターは阿久戸神楽さんの御所の五郎丸陣屋巡りです。

その前に阿久戸神楽さんの由来について

「明治中期、佐藤宗治が庭元となり南部神楽系城生野神楽の小野寺直師匠より神楽を伝授され、堀口神楽を創設した。戦時中一時中断したが、昭和四九年一二月有志により復活し、阿久戸神楽と改称した。
初代庭元佐藤宗治、現在の庭元佐藤錦は五代目である。」

とあります。現在の代表は村山栄利さんです。

IMG_4656.jpg

この御所の五郎丸陣屋巡りは、歌舞伎などでも有名な曽我兄弟の仇討話が底本になった神楽です。

安元2年(1176年)10月に河津三郎祐泰は所領争いにより同族の工藤祐経に矢で射られて落命する。
その後工藤祐経の未亡人はふたりの子どもを連れて相模の曽我祐信のもとに嫁ぎます。
このふたりの子どもが曽我十郎祐成と曽我五郎時致です。
父を失ったとき、兄十郎祐成は5歳、弟五郎時致は3歳でした。
その後、兄弟に父の仇工藤祐経を討つチャンスがめぐってきました。
建久4(1193)年5月28日、源頼朝が富士の裾野で巻狩りを行うと聞き兄弟は仇討決行を企てます。

兄弟は弥源次、弥源太と偽って、陣屋廻りの奥の小姓御所の五郎丸に見咎められるも、温情により供廻りに混じって木戸を抜けようとします。

IMG_4666_2016070420160091f.jpg

しかし、陣屋は折り悪く雨激しく、警戒も一段と巖しさを増し「一の木戸」「二の木戸」は無事に通り超えたが、「三の木戸」は祐経の重臣と宮形八郎重房が警固しています。
宮形八郎重房の改めは厳しいものでしたが、御所の五郎丸の計らいで何とか通ることができました。

IMG_4672.jpg

三の木戸を通り抜けた兄弟に御所の五郎丸は更に仇敵である工藤祐経の陣屋幔幕の紋所を教えます。
これによって曽我兄弟は本懐を遂げることができたのでした。

IMG_4676.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2016.07.04 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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