玉ノ木神楽 権現舞@ 第32回江刺神楽大会
さて本日は、第32回江刺神楽大会の最後の演目で、やはり神楽の締めは権現舞ということで玉ノ木神楽さんです。
その前に玉ノ木神楽さんの由来について
「玉ノ木神楽は、明治中期(22年頃)、悪病、悪疫や盗人がはびこり住民の難儀この上もなかったことから、当時の区長菊池幸四郎、菊池利喜蔵等が相談し、遠野町から修験者を招き、権現を彫刻し、各戸門打して悪病を退散したところ平穏に戻ったため、菊池利喜蔵宅を座元として創設した神楽と伝えられます。
毎年悪魔払いの行事が氏神八雲神社を中心に行われてきましたが、大東亜戦争等にて衰微したので、昭和36年和田神楽(胆沢系)より先生を招いて小河原流神楽を習得し、玉ノ木神楽として再興しました。
平成に入り停滞しておりましたが、平成13年以降新人が加わり活動を続けております。」
とのことです。
現在の代表は菊池清一郎さんです。
現在の玉ノ木神楽は小川原流と称しているので瀬台野神楽系なのですが、その瀬台野神楽には権現舞はありません。
あるのは、羽黒修験系の獅子舞であり、早池峰系統の権現舞とは異なります。
しかしながら、玉ノ木神楽はもともと岳系統の神楽だったということで権現舞も独特なものになっています。(式六舞の道具等も保持しているようです。)
下舞も独特で、早池峰系のものとは異なります。
御神楽の所作が下舞に反映されているようです。
そして、次が小川原流という意味合いが濃い部分です。
よく南部神楽は、早池峰系山伏神楽と陸前浜の法印神楽の混交だと言われ、山伏神楽を継承しながら権現様が無いのは何故かということが言われます。
しかしながら、それは胆沢地方以南では古くから神楽とは別物の「悪魔祓いの獅子舞」があったからに違いありません。
これは宮城県北地方から岩手県南にかけて正月や春祈祷として獅子舞を廻す習俗があり、その獅子には必ず獅子あやし、若しくは獅子を伏せる太刀切りの修験者が付いて門付けを行っていたものです。
つまり、南部神楽は山伏神楽の演目も引き継いでいるものの「獅子神楽」ではないということです。
ところが、やはり伊達南部の境に位置する江刺の神楽ですので、その両方が混在しているわけです。
後半は、完全に早池峰系山伏神楽の権現舞になっています。
映像にはありませんが、この後に会場内のお客さんたちに頭固めを行いました。
いやあ面白い、これだから南部神楽の追っかけはやめられない!
動画でどうぞ。
