和田神楽 日光権現之舞 @第32回江刺神楽大会
さて本日は、第32回江刺神楽大会から瀬台野神楽系の和田神楽さんで日光権現之舞についてです。
和田神楽さんの由来については定本より
「昭和七年、江刺郡田原村小田代、川内神楽の師匠菊地庄右エ門師匠他六名の師匠の指導にて、和田神楽を創設した。
二代庭元及川弘二、三代及川喜三郎、四代菊地輝雄、五代菅原真悦、佐藤卯三郎は六代目である。
昭和五六年、和田神楽創立五○周年記念式典を行っている。」
とありますが、現在の代表は佐藤隆司さんです。そして、和田神楽は小川原流和田神楽と称していますが、この小川原流というのは元になった瀬台野神楽の明治初年代の神楽師匠である小河原房松からとったものです。
演目の日光権現は、山立(狩人)の起源譚として東北地方では膾炙されています。
下野の国の日光権現が上野国の赤城明神と戦をして敗れ、山中を彷徨ううちに猟師の磐司万三郎と出会い与力を託すという説話に基づきます。
日光権現です。
そこへ蛇面を付けた赤鬼明神が行く手を塞ぐように現れます。
困り果てた日光権現は、白鹿に身をやつして日本一と名の高い磐司万三郎をおびき出し、赤鬼明神退治を頼みます。
磐司万三郎は弓の名人で、赤鬼明神を追い詰めて、遂には射殺します。
この時、赤鬼明神が台の上に乗って空中を飛び交う様子を表現しています。
この表現手法は南部神楽では他にも幾つか例があります。
掃部長者の三沢御前が荒れ狂う大蛇になって松浦の佐用姫に襲いかかる場面では、櫓の上で法華経を読む様を表したり、一の谷合戦の熊谷次郎直実が平敦盛を逃したことを見定める平山武者が崖の上から熊谷をなじる場面を表したりと、高所を現す舞台装置となっています。
法印神楽では、高天原等の特別な場所を表現するのに「高舞台」というものを設けるが、これもその派生形かもしれない。
動画でどうぞ。
