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2016.06.12 | Comments(1) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

達古袋神楽 西の雲舞 @ 第12回神楽共演石越大会

さて本日は、さなぶりの時期恒例の石越神楽共演会が開催されましたのでそのリポートとなります。
この神楽共演会は赤谷神楽・長下田神楽の主催で、回を重ねること12回となり、すっかり定着した感があります。

ということで、開会に先立って赤谷神楽さんによります降神の舞で神降ろしが行われました。

そしてトップバッターは、欠場になった嵯峨立神楽さんの代わりに達古袋神楽さんの西の雲舞です。

その前に、達古袋神楽さんの由来について


「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」

とあります。現在の代表は小岩恭一さんです。

この日の胴取りは小岩弘征さんです。



さて、ブログタイトルで「西の雲舞」としましたが、内容は御神楽(鶏舞)です。

幕出し(雲張り)歌がかかります

〽 センヤーハー ご祈祷に 千代の御神楽 舞い遊ぶ 舞い遊ぶ


DSC07738_20160612190911e23.jpg

さて、鶏舞を何故に西の雲と呼ぶのか。
推察するに、南部神楽で古くは御神楽を舞う時の神楽歌に次のものがあったからのようです。
今でも御神楽でこの神楽歌をつける団体もあるようです。

〽 西の雲 東の雲にあいなれば 紫雲は おりてたなびく

DSC07742.jpg

達古袋神楽さんは9月に開催される全国神楽大会ハヤチネ2016にも出演が決まっておられるようです。
今から楽しみです。

DSC07743.jpg

動画でどうぞ。


テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2016.06.12 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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