大湯大太鼓@日本の祭りinあきた2015
さて本日は、日本の祭りinあきた2015から大湯大太鼓です。
秋田県北部から青森県の旧津軽領内は「大太鼓文化圏」とでも言える様相だと思います。
この鹿角市の大湯太鼓や北秋田市鷹巣町の綴子太鼓、それに青森は青森ねぶたや弘前ねぷた等が有名ですが、その起源は南部藩領であったことからその軍楽としての太鼓が想定されます。
由来について当日パンフレットより
「戦国時代末期、鹿倉城主が激戦の末に凱旋した際、大湯の村人達が将卒の労を唄や踊り、笛、太鼓で労つた事が始まりと言われます。その後、鹿倉城は天正19年(1591)の豊臣秀吉の九戸遠征に巻き込まれ、攻防の末落城、彼我の多くの屍が野末にさらされました。それから村人達は、毎年のお盆には戦陣に散つた霊魂を供養太鼓で追悼してきました。大湯城再建の日が8月19日であり、出穂の時期にあたることから、先祖の供養と五穀豊穣を祈つて8月15日に「大湯大太鼓まつり」を行っています。」
とあります。
祭りの解説は「秋田民俗芸能位アーカイブス」から
「大湯大太鼓まつりは、毎年8月15日に大湯の10の若組が出演をして太鼓競技としておこなっている。太鼓1台を一殻(がら)といって、殻を単位として、大会は50殻も出演する。この太鼓では最初に大圓寺の供養太鼓を演じてから競技に入る。曲目は大湯第一大拍子・大湯第二大拍子・中通り大拍子・三拍子・五拍子・七拍子・大の坂・シカジャケ(酸酒)・ケノクダリ(街道下り)がある。盆の期間は地域内各集落では盛んに盆踊りが開催されることから、盆踊りの囃子としても演じられるもので、呼び太鼓・大ノ坂踊・甚句踊・送り太鼓の順になっていて、毛馬内の盆踊とほぼ同じである。もともとは、江戸時代に南部藩がこの地の武士の士気を高めようとして打ち鳴らしたのが始まりといわれている。」
祭りの際は150mもの太鼓行列となり、太鼓を一斉に打ち鳴らすと30km四方に鳴り渡るということです。
太鼓の革は馬革で、太鼓の表面に染みが付いているものがありますが、それは太鼓の打ち手の血豆の跡だということです。
それ程に力強く太鼓を打ちながら練り歩く様は、さぞかし壮観なのだろうと思います。いつか訪れてみたいと思います。
動画でどうぞ。
