小田代神楽 「三番叟」「熱田の宮」@ 第32回江刺神楽大会
さて本日は、第32回江刺神楽大会から小田代神楽さんで「三番叟」「熱田の宮」です。
その前に小田代神楽さんの由来については定本より。
「明治二八年一○月、部落の氏神五十瀬神社に神楽を奉納するため、氏子総代の植田喜作が庭元となり、羽田の鴬沢神楽から師匠を招き指導を受け、小田代神楽を創設した。
初代庭元植田喜作、二代及川春治、三代及川清志四郎、四代~五代及川篤男である。」
とあります。初代の植田喜作が指導を受けたのは菅原金之丞とあるが、金之丞は千葉栄佐衛門とともに瀬台野神楽を立ち上げた人物であり、後年田原の蟹沢に婿入りして蟹沢神楽を創設し、周辺の地域にも神楽指導をした。
そして今回第六代目を相伝したのが及川章さんです。
系統譜からみれば瀬台野神楽~蟹沢神楽~鶯沢神楽~小田代神楽となっていますが、小田代神楽の口伝によると胆沢下幅からの伝授という説もあるそうです。
さて、三番叟ですが、こちらの式舞では御神楽、山の神に続く三番目の演目となっているようです。
雲張りでの歌は
「よしがのに よしがのに 日は照るとも 常に絶えせぬ鳴る滝の水
鶴殿 亀殿 歌ましあれば 幸い心にまかせたり
三番叟が崩し舞になると、幕から道化が顔を出します。
いわゆる真似三番叟で、可笑しいながらも巧みな舞ぶりと、腰の一物で客を楽しませる要素もある。名人芸です。
続いて、胴の拍子が荒調子になり次の演目「熱田の宮」になります。
渡り拍子で素盞嗚尊が三宝に天叢雲剣を奉持して威厳を込めて舞います。
瀬台野神楽本によれば、この舞は眼識が最も大切と記してある。つまり「ガンきり」等と呼ばれる頭をキリッと傾けて見栄を切る仕種が大事というわけだ。
素盞嗚尊が宝剣を納めて幕内に入ると、代わりに磐長姫变化が出てくる。
山の端の神歌が実によい。
そして歌に合わせて扇車を舞う様は実に見事だが、舞手は高校生の神楽女子。
小川原(瀬台野)流ではこの姫舞を姿態舞と呼び、修練を必要とする舞としている。
日本武尊が現れるとともに、磐長姫が蛇身を現した姿で襲い掛かってくる。
同じ南部神楽でも、一関地方や栗原地方の演出とひと味ちがう胆沢神楽の宝剣納めでした。
小田代神楽さんの次の仕組神楽が楽しみです。
動画でどうぞ。
