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2016.05.12 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

城生野神楽 「一の谷合戦鵯越の逆落し」@第46回岩手県南宮城県北神楽大会

さて本日は、第46回岩手県南宮城県北神楽大会から最後の演目となりました。
昨年度この大会におきまして岩戸開きで優勝した城生野神楽さんのアトラクションで一の谷合戦鵯越の逆落しです。

その前に、城生野神楽さんの由来について定本より


「嘉永年間(一八四八)富野城生野の富助が岩手県西磐井郡萩荘村市野々、自鏡山の山伏神楽を習得した。後部落の若者達に指導して城生野神楽を創設した。
以来城生野神楽は、山伏神楽の正統を保っているので宮城県北の神楽の総元締である。
初代庭元千葉幸之進、現在の庭元加藤義勝は五代目である。
昭和三六年一一月、築館町の無形文化財に指定されている。」

とあります通り、幕末に自鏡山の法印神楽を習得して以来、明治中期に阿久戸神楽に伝承したのを初めに、栗原地方の十数団体に神楽伝授を行なってきた団体であります。現在の代表は佐藤安美さんです。

この日の胴は佐藤正行さんです。



さて、演目については当日のプログラムより掲載します。

「源氏、平家処々に幾度戦い、水島、室山の合戦に於て平家方は敗れ、平家の堅域一の谷福原城(現神戸市須磨区)に陣を張った。源氏方は福原城を攻め落とすため蒲の冠者範頼大将の軍勢は東は生田ケ森より、又一方の大将源義経は三千余騎の軍兵を率いて一の谷福原城に向かった。

源九郎判官義経

DSC07675.jpg

武蔵坊弁慶

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三草長根を過ぎ八伏長根に差しかかると山は次第に厳しくなり草木は猛々しく伸び、人馬も通れぬようになった。
山の案内人鷲尾二郎家春にこの山は如何なる山かと尋ねると、音に聞こえし鴇越えの山で人馬も通れぬ御山であるが、鹿、狼の群が通る道があると教えられる。

DSC07686.jpg

義経は鹿、狼が通れる御山を人馬が通れぬ筈がない、と義経自ら先頭に立ち一気に鴇越えを逆落とし平家の堅城福原城を攻め落とす勇壮な場面です。

DSC07694_20160512201720e8e.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2016.05.12 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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