津波と地震 諸事災厄を鎮まり給うことを願ふ
このところ、熊本県下で群発している強大な地震がうち続き、倒壊した建物の下敷きになるなどして尊命を亡くした方々がいることに心を悼めますとともに、一日も早く平穏な生活が戻ることを祈念してやみません。
とはいえ、明日は九州地方は雨が降るということでさらに心配されます。
さて、本日は休みが取れましたので、宮城県名取市の神楽を見に行こうと出掛けました。
その途中で、かねてより訪問したかった所に行くことができました。
仙台市若林区の海岸部にある深沼海岸の堤防内側に震災後建立された観音像です。
荒浜地区は震災前には地域の皆さんが生活していた場所。
震災後には、ここを追悼の場所として地域住民のみならず全国から追悼に訪れる人々の祈りの場となっている。
津波犠牲者190人の名を刻む犠牲者の石碑です。
視線を内陸側に向けると、被災したままの風景しか見えません。
小さな社ですが、5年経っても未だにこの状態。
防潮堤工事とかさ上げ工事の進捗状況が思わしくないからということでした。
荒浜地区住民の皆さんによる里海を取り戻す活動が行われているということです。
さて、荒浜での見学を終えて貞山堀沿いに南下して名取市の閖上浜を目指しました。
主目的は、大正時代に建立された日和山鎮座の閖上湊神社と富主姫神社への参拝です。
この神社は、江戸時代に海上交易をしていた商人が危ういところで助かった礼にこの地へ神様を勧請したことに始まります。
この神社のある位置は、まわりより少し小高い位置にありますが、これは大正9年に地元の在郷軍人分会が築山を造山して神社を勧請したということです。
先の震災による津波によって、小高い築山の山頂にあった社殿も流失し、今は再建された仮宮がありますが、本設の社殿復興をめざしているということです。
富主姫神社の祭神は、市杵島姫命とされ、初めは富主島(閖上三丁目付近)に鎮座したためこの社名になったということで、海神であり商いの神様で、地元閖上地区の崇敬も篤かったことと思われます。
一日も早い復興を願いながら、閖上の朝市まで足を伸ばしたが、あまりの強風と雨のため早々に移動しました。
ということで、明日からは名取の熊野堂神楽見聞記となります。
