富澤神楽 国授@第31回一関民俗芸能祭
さて本日は、第31回一関民俗芸能祭から富澤神楽さんで国授(くにさずけ)です。
その前に、富沢神楽さんの由来については定本から
「明治二○年頃、蕎麦沢の佐藤林之丞が庭元となり、西磐井郡金沢村飯倉神楽の小野寺忠七師匠(飯倉から真滝小林に婿養子に来た人)を招き、部落の若者達に神楽の指導を行ない富沢神楽を創設した。
明治時代、初期の人達が二期、三期と舞人の養成を図ったが大正初期に絶えた。
昭和三年、佐藤民治が発起人となり佐藤甚之助が庭元となり、飯倉神楽より高橋衛師匠を招き佐藤民治と共に神楽の指導を行ない、富沢神楽を再興した。
初代庭元佐藤林之丞、二代三代佐藤甚之助、四代佐藤利男、五代千葉清人、六代佐藤登である。」
とありますが、現代の代表者は佐藤徹さんです。
さて、国授という演目は国分けと呼ぶ神楽団体もありますが、胆沢の前谷地神楽の台本では、伊弉諾伊弉冊が出て、天照大神・月読尊・素戔嗚尊の三神にそれぞれ領分を与えるが、根の国を与えられたことを不満とした素戔嗚尊が反発するという内容です。
それに対して、国授では伊弉諾が一人出て、法印神楽のツケの役割のように、神々の由来を述べた後に三神を呼び出します。
〽 應 自らは天神七代 伊弉諾尊と申すなり
伊弉諾尊が黄泉の国で伊弉冊尊から追われ、ようやく脱出し、穢れた身を清めるため海水で禊をした時に生まれたのが三神(と蛭児)です。
天照皇大神
月読尊
素戔嗚尊
伊弉諾尊はそれぞれに国を授けます。
天照皇大神には高天原を治めよと、月読尊は大海原を司るように、素戔嗚尊には天が下を司るようにと申し付けます。
目出度く決まった所で千代の御神楽です。
続いて装束を改めて崩し舞です。10分間ノンストップの大熱演です。
動画でどうぞ。
