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2016.03.13 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

市野々神楽 鶏舞@第31回一関民俗芸能祭

さて、今日は一関文化センターで開催された第31回一関民俗芸能祭に行って参りましたので、その内容を順次リポートしていきます。プログラムは本日ブログの最下段に掲載します。

ところで今日のプログラムをよく見ると、鶏舞に始まって神舞(国授、岩戸入り、岩戸開き)を納めた後に狂言(劇舞)が来るという構成でした。ちゃんとしてますね、さすが一関です。

で、トップバッターは市野々神楽同好会さんの鶏舞です。

その前に、市野々神楽同好会さんの元となった市野々神楽について定本より参照すると

「市野々神楽は吾勝神社の奉納神楽で羽黒派自鏡山金剛院の法印神楽の流れを汲むものである。
市野々神楽直系の本郷神楽が盛んになり、市野々神楽を代表するようになった。
また、市野々神楽の流れをくむ赤猪子神楽は山谷神楽系を取り入れ盛んになった。両神楽とも昭和初期舞手がなくなり合体して市野々神楽と改称した。戦後舞手がなく再び衰退したが、昭和51年南沢神楽の指導で市野々神楽を再興した。」
とあります。
昭和51年当時、地域の若者の集まり「市野々読書会」が一関市で開催されたヤングフェスティバルに出場する際に「自分たちが大人から習ったものをやろう」と、鶏舞を演じたことがきっかけで有志 15 人が同好会を設立。以降、鶏舞のみを演じてきたということです。




市野々神楽同好会さんでは、会員が男性3人女性 13 人で地域の行事等に出演する他、市野々地区の子ども達にも指導をしているということです。

DSC06806.jpg

そもそも市野々という地域は、南部神楽発祥の地とされる自鏡山吾勝神社のお膝元であり、羽黒修験が修行布教したところです。
現在の市野々神楽とは別だと思いますが、おそらく当時は里修験が集まって神楽を催し、その験力を示すとともに里人の娯楽としても栄えた芸能だと推量できます。
その片鱗を今日に残しているのが南部神楽なのです。

形は様々に変容しても後世に残してほしいと願います。

DSC06819.jpg

動画でどうぞ。




プログラム

1 鶏舞(市野々神楽)
2 国授(富澤神楽)
3 天の岩戸入り(牧澤神楽)
4 岩戸開き(蓬田神楽)
5 朝はかの奴 他(小猪岡豊年田植踊り)
6 彦炎出見尊(一関夫婦神楽)
7 誉ればやし、屋台ばやし(一関中学校関中太鼓委員会)
8 魔王退治(南沢神楽) 
9 三人舞(舞川鹿子躍)
10 山ノ神舞(市之通神楽)
11 秀衡二度対面の場(達古袋神楽)
12 天の岩戸開き(本郷神楽)
13 田村二代(古内神楽)

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2016.03.13 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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