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2016.02.02 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

浪板大神楽 四本固め、甚句@大槌町郷土芸能祭

さて本日は、大槌町郷土芸能祭から浪板大神楽さんの 四本固め、甚句についてです。

その前に浪板大神楽さんの由来について

「浪板大神楽についての記録はありませんが、その由来は、天明の頃(1782年頃)内陸の腕利きの船大工が五代目前川善兵衛富能氏の御免石船、明神丸造船の際、浪板の宿に泊まり踊りを教えたものか、又、ある説によれば、1801年にキリシタン禁止令が強化され、宣教師が迫害を受け陸中の海岸にまで逃れて来た際、塩を煮る鍋造りの技能を教える傍踊り教えたという言い伝いも
あり判然としない。
寛政2年(1781年)の頃、二代目前川善兵衛富永氏三男善右工門氏が浪板大神楽に獅子頭を寄進したこと、文化7年2月(1810年)には六代目前川善兵衛富長氏が新造船、吉祥丸の船おろし式に浪板大神楽がお祝いに駆け付けたことなどが、前川善兵衛誌の中に記されており、又、元治年代の頃、大槌村柏崎長作氏(キリスト教牧師らしい)が中須賀と浪板大神楽の獅子頭を吉里吉里村北田宮内氏から原本を寄付され彫刻したことなどが判っており、今さらながら昔の大神楽講中の方々の熱意に唯々敬服するものであります。
又、言い伝えによりますと、この大神楽は、お祝いの席ばかりでなく昔は、3年か7年に一度しかない大槌村のお祭りには山越えして向川原、中須賀の大神楽の応援に出かけたそうで、寛政年代から吉里吉里天照御祖神社の丁印となり、戦時中は一時衰微した時もありましたが、愛好者の熱意で現在にいたっております。
獅子頭は8頭あり原木は篤志の方々の寄付によるものです。
獅子頭 寄贈者   寛政 2年 前川 善右工門 氏
           元治 元年 柏崎 長作氏
           明治 25年 台 留五郎 氏
原 本 寄贈者 昭和 29年 佐藤 秀夫 氏(4頭分)」

などとあります。



大槌、吉里吉里地区には太神楽が6つ現存しています。
それらの由来は諸説はあるようですが、おおきくは寛政年間に盛岡の七軒丁から金崎市兵衛と宮沢又助が習得し広めたというのが概略のようです。
当時の大槌には南部藩の代官所があり、今からは想像もつかないほど頻繁に盛岡との往来があったようで、物資の交易ばかりでなく人や文化の交流も盛んだったようです。

IMG_1567_2016020220465070d.jpg

演目の四本固めは四方固めともいい、門付けした家の庭の東西南北四辺の悪魔を祓う祈祷舞である。
江戸時代に武家屋敷に門付けする際は舞い手以外は裃を着たということです。

IMG_1576.jpg

舞納めは

〽 やっときた お先は舞いて この後は
   当年中の悪魔祓い その後はオカメ様の一生笑い

IMG_1591.jpg

続いては余興の神楽甚句です。

この日の上演後のインタビューに代表の台野さんが答えていました。
「震災後久々の上演だった。浪板は小さな部落で140世帯350人が暮らしていた。高齢化も進んでいるが、地域の復興に役立てばと再開した」ということでした。

浪板地区は大槌町の中でも吉里吉里地区の北端で山田町と境を接した漁村でありました。
現在は嵩上げ工事がなされていますが、散り散りになっている浪板のみなさんが集まれるのも祭りや芸能の場であるようです。
これからも続いていくよう願います。


IMG_1606_20160202204658422.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2016.02.02 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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