行山流都鳥鹿踊 無礼、唐金
さて本日は、前沢郷土芸能まつりから行山流都鳥鹿踊さんで、無礼踊りと唐金です。
行山流都鳥鹿踊の由来について、
「伊藤伴内(南三陸町志津川)の門弟のひとり行山清左衛門から伝わり、さらに寛政5年に平泉町の三代行水軒中津川清左衛門義胤から「行山流踊り」として伝授されたといわれ、以来今日までの永い間、多くの先輩達によって踊り継がれて来ました。」
とあります。
胆沢のしし踊りには三つの系統があるといわれ、行山四郎兵衛を元祖とする(胆沢区)徳岡経由と(一関市厳美町)山谷経由のものと、行山清左衛門を元祖とする平泉の達谷窟経由のものとがあるという。
都鳥鹿踊は平泉の達谷窟経由で麓行山躍で、同じく胆沢の供養塚鹿踊とともに水沢栃ノ木や金ケ崎細野・北方・御免等に伝承している。
現在の代表は高橋勇人さんで、メンバー18人の中には胆沢区以外の出身者や女性も加入しているということです。
まずは庭入から
続いて輪になってめぐりますが、ここから「無礼踊り」が入ります。
ちょっと聞き慣れない演目ですが、都鳥さんでも久々の上演とうことでした。
「無礼踊り」というのは、演目というよりは「投草」や「立合い」のように儀礼的で即興的なものかとは思います。
踊っている最中に一頭の鹿が転んでしまいます。
すると、中立がかけより大丈夫かと気遣うしぐさをします。
やがて、転んだ鹿は立ち上がり、大変ご無礼をいたしましたという気持ちを込めて鹿唄をうたいます、
〽 天じくの 龍牙こまだに つまけして 我等のつまけは 御免なれ 御免なれ
と、これは都鳥鹿踊の方に教えていただいた歌詞です。
これについては、「岩手の民俗芸能 鹿踊編」の中に、山谷経由鹿踊に同様の唄として次のような鹿唄が掲載されてあります。
「おどりおどる節ころんたうた之事」
〽 天竺の 龍のこたたづまけしてまして 鹿のつまけハ どふり成物」
「つまけ」とは当地方の方言で「躓く」という意味で、「つまける」あるいは「つまけかえす」とも言われます。
そして、気持ちをあらためて次の演目「唐金」へと続きます。
雌獅子隠しにしてもそうですが、太鼓系のこのフォーメーション(中立 VS 側鹿 behind 雌鹿)は、武士が戦の陣立の稽古をしているように思われてなりません。(私だけかもしれませんが)
先日見た都鳥さんの八人狂いに至っては、方円の陣です。
鹿踊が「武士の芸能」といった趣を感じさせるのはこういったことからくるのかもしれません。
続いて狂い踊りに変化していきます。
都鳥鹿踊さんは、意欲的に様々な演目を稽古して上演されています、敬服の至りです。
動画でどうぞ。
