成岡田神楽 安倍保名信太の明神参詣の場
さて、本日は前沢郷土芸能祭から、成岡田神楽さんの「安倍保名信太の明神参詣の場」です。
その前に成岡田神楽さんの由来について
「田河津横沢篭山の千葉栄三郎は西南戦争の際の同年兵、平泉町達谷の屋根ふき職人古太郎より、千葉幸蔵等と共に神楽を習い竹沢神楽を創始、明治三十年岩井里に、大正十年夏山に、また前沢成岡田にも伝え、成岡田の面は千葉栄三郎の作であり、神楽台本も残されている。」
とあります。現在の代表者は千葉長平さんです。
成岡田という地区は前沢の束稲山北西麓に位置する集落で、県道106号線をたどると田河津集落まで眼と鼻の先である。
したがって、田河津高金の佐藤金治郎の元へと神楽を習いに通ったのも頷ける。
成岡田に神楽が伝わったのは明治43年であるという。佐藤金治郎発祥の高金流の竹沢神楽直系です。
この日の胴は岩渕隆さんです
信太の明神参詣の場ですが、冒頭は安倍保名が父保秋と対面するところから始まります。
保名の父保秋は、参詣を進めるも、供の者を連れて参るよう勧めます
そこで三谷の前司(早次)がお供となって信田の明神へと急ぎゆくことになります。
信田の明神へ着いて参詣し「諸願成就我長久」と願をかけます。
参拝が済むと、お供の前司が信田の明神の社殿の中を詳しく眺めます。「あら面白や拝殿の中に数多のかけものあり」
保名が柿本人麻呂の歌が書かれた書を見つけます。
「〽 ほのぼのと 明石が浦の朝霧に 島隠れ行く舟をしぞ思う
これ神道の根本佛果菩薩の名聞人間一生の有様を浦漕ぎ舟になぞらえて 深き心をいうぞかし」
「〽 鶯の声んかりせば雪消えぬ 山里いかで春を知らずや
おう げに心なき鳥だにも 花に鳴く鶯の声 水に住む蛙の声聞けば 何かは歌をよまざらん 神も佛も皆この道ぞ」
と感慨に浸っているところへ白狐が飛び込んできます。
保名は「我が命を的にかけてでも、汝を助け候ぞ、しからば隠してくれよう」と白狐をかくまうのでした。
と、この参詣の場はここまでです。
動画でどうぞ。
