瀬台野神楽@歳旦祭 & 日光院道場について
謹賀新年
皆様のご多幸をご祈念し、念頭の挨拶といたします。
当ブログでは、本年も東北の祭りと芸能を取り上げて参りますので、ご指導ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
2016年の幕開けはやはり瀬台野神楽さんの歳旦祭からとなります。
その前に瀬台野神楽さんの由来について
「元禄一二年(一六九九)羽黒山より免許を得て、修験道場を開いた、日光院清延氏が祈祷に神楽を奏したのが始めとされている。
明治初年、太政官布告により修験道の廃止とともに、神楽も衰退したが、後、神楽は千葉常右エ門に伝えられ、宮城県築舘で神楽を習得した千葉栄左エ門が庭元となり中興し、その間出雲流科白(せりふ)神楽を習得し、隆盛を極めた。
明治二八年一○月、神道神楽会長小川原房松、菅原金之丞の両名により神楽本を製作し後世に伝えた。
その後、西磐井郡萩荘村の黒沢神楽、水沢市五千刈の下幅神楽とも交流を深めた。
戦後中断していたが、昭和五一年一月、瀬台野神楽の巻物を伝える江刺市田原の川内神楽より師匠を招き、指導を受け復興し、現在に至る。」
とあります。
歳旦祭の神事が熊野神社でとり行われました。
境内には町内の皆さんが初詣と福引を楽しみに集まってきています
神事の後は御神楽奉納です。
いつもながら、粛々とした見事な御神楽です
舞い終えると唱詞の奏上です
太鼓の上に、撥笛鉦を置いて「登保加美恵美多美次良震選離押兌乾祓披給清米給・・・畏美畏美母白須」
さて、ここから話題は変わります。
この歳旦祭で神官を務めた瀬川さんとお話をした際に、日光院の古文書のことが話題になり、早速午後に瀬川さん宅を訪問しました。
瀬台野神楽発祥に関わった修験の日光院は、幕末まで六代続いたが男児が無かった事などから修験を廃業した。
そのため、瀬川さんの祖父が日光院のお堂を始め法具や文書を引き継いだということです。
そして、瀬川さんの屋敷内にあったお堂が腐食等が激しくなったため、この度、倉庫を改修して日光院の文物保管庫としたそうです。
画像の手前に見える梁には安政年間の銘があるとのこと。
その後方にある不動明王の製作年代は未調査ということです。
錫杖に独鈷杵、三鈷杵などの法具
里修験は卜占も行ったということで、筮竹と算木
印の結び方見本でしょうか?
文書はこの他に4つの木箱に100冊ほどあるようでした。
その内容は神道、仏教、陰陽道関連のものから、医学、占い、歴史等多彩にあるようです。
オシラサマもありました。
この辺にはオガミサンはいなかったということなので、養蚕の神様として祀ったのではないかということでした。
この木箱は最上講で使ったもののようです。
代参する人たちの路銀を作るために、集落内を廻って米をこの箱に入れて歩いたそうです。
文政4年 行人白米箱と書いてあり、行人の名前が連ねてあります。
これらの文物について瀬川さんは暇を見つけては研究しているが解読が難しいと言ってました。
さて、どうしたものか。
動画でどうぞ。
