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2015.12.13 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

天狗田代々神楽 鶏舞@天狗田代々神楽上演会

さて、本日は一関市大東町沖田に伝承されている天狗田代々神楽上演会に行ってまいりましたので、その
リポートとなります。

その前に天狗田代々神楽さんの由来について定本より

「天狗田代々神楽は水山流という。先代は田河津村高金の佐藤金治郎先生、二代は奥玉村の藤野金作、藤野為定両先生の指導を受けた。
大正一四年、奥玉立石の及川卯吉が木材運搬の為天狗田に働きに来た。及川卯吉は田河津高金の神楽の大先生である佐藤金治郎師匠の名代(弟子)であった。
こうしたことから及川卯吉師匠とその弟子及川正、渡辺弘等の昭和六年、西磐井厳美村水山神楽との交流もあり、水山流神代
皇代御神楽系演誼本もある。初代庭元小山辰治、二代小山綾之助、三代小山綾一、四代小山滑男、五代熊谷平に受け継がれてきた。」

ということです。

しかしながら、4年ほど前に神楽組のメンバーが相次いて亡くなったことから活動が休止状態となっていた。
そこで今回一関市教育委員会の働きかけもあって、次世代への継承に取り組んだ成果の発表会ということになったということです。

今回胴を取っているのが高校生ならば、鶏舞の舞手もみんな大東高校の生徒さんたちです。
一時期休止状態となった神楽を再興させる中心的な役割を果たしたのがこの高校生たちです。
今回の上演会が決定したのが11月ということでしたので、それからの稽古でここまで仕上がったということだと思いますが、頗る良いできです。
是非続けて欲しいと思います。



さて、天狗田代々神楽の経緯についてもう一つ「大東町の民俗芸能」より

天狗田新田神楽のはじまり
 大正11年、及川輝家氏が天狗田部落に石屋職人として来た。神楽の話になり、今川丑五郎(屋号ノンデボラ)の世話により大正11年の夏頃より輝家氏を師匠に神楽練習が始まった。時々摺沢より岩次郎という学校の先生が来て協力した。
練習の成果もよく、神楽道具が必要となり、京津畑より譲り受けた。当時の価格は60円とか70円くらいといわれている。

その後、「牛追い」に来た奥玉村及川卯吉が、細葉の渡辺半兵衛氏宅に宿泊した。大正14年のことである。神楽の話になり、渡辺氏が世話をし卯吉氏を師匠に頼み少数の若者を集めて神楽練習を始めたところ、だんだん人員が多くなり佐藤利四郎宅に場所を移した。
その頃は電気も道具もなく、焚き火の明かりで酒樽や戸等を叩きながら練習した苦労話が聞かれる。

IMG_9978.jpg

昭和2年のころ道場開きとなった。それも神楽道具は、一式京津畑より借りたという。

練習も積み、神楽道具が必要になった。そこで佐藤利四郎氏より「タバコ」一反歩分代金併せて18円借り、元金として揃えたのが現在ある神楽道具一式である。命名天狗田神社代々神楽となる。及川卯吉先生帰り、同時に及川輝家先生両方に属する。
そのうち、兵役等で神楽連中も人手不足となり、昭和19年秋ごろ天狗田新田神楽は千田基氏宅で踊り納で解散となった。
終戦後、熊谷平氏他数名が入りなんとかもったようだ。
その頃庭元として小山綾之助氏に頼む、二代目小山綾一氏、三代目小山敏夫氏、熊谷平氏2名だけで消滅となった。

IMG_9940.jpg

・・・ということなようですが、そういった経緯を踏まえて今日の復活上演となりました。
それでは、高校生たちの鶏舞をご覧ください。

IMG_9987.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2015.12.13 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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