出店田植踊 新田植之舞@第49回胆沢郷土芸能まつり
さて、本日は第49回胆沢郷土芸能まつりから出店(でだな)田植踊さんの新田植之舞についてです。
その前に出店田植踊さんの由来について
文政7年(1824)旧小正月に堀切(現小山地区)横屋の田植踊の師匠、萬吉氏から若柳村(現若柳地区)出店中西屋敷の五郎七に伝授された。その後、終戦後の一時期(昭和30年代)に女田植として継承を守っていたが一時中断。
その後、再興され現在まで続いている」
現在の代表は谷木幹典さんです。
この日の演目の新田植之舞は「本田植の舞」に対するものということです。
「ほまづ田」といって、昔は大百姓の年寄りたちが自分だけの水田をもっていたが、その「ほまづ田」のための田植踊のことを「新田植之舞」としているようです。更に、さかのぼれば江戸時代本田に対して開墾された水田を新田と呼んで区別していました。この新田のための田植踊のことでもあります。
入り込みから整列が終わると
杁摺りが口上をあげます
〽 やれやれ弥十郎や これよりおわこう様のほまづ田とて五十枚の田を植えてくれや
胆沢型田植え踊りの特徴といえるのが、踊り手の羯鼓と奴である。
奴は法被に裁付袴という出で立ちで右手に鳥毛を持つが、これは早苗を表しているという。つまり田植えの早乙女ということらしいが、それよりは大名行列の奴の毛槍振りの所作に近い。このいった構成は、胆沢田植踊の嚆矢といえる都鳥田植踊の祖千田美濃が元葛西氏の臣で上衣川落合舘城主であったことも関わりがありそうだ。
羯鼓は、黄色の頬かむりに法被と裁付袴で、左手に羯鼓、右手に撥を持って、軽やかに羯鼓を打ちながら踊る。
昔は少年の役だったというが、正に田楽をといった趣がある。
動画でどうぞ。
