小田代神楽 八幡舞@創始120周年記念式
さて本日は、小田代神楽さんの八幡舞についてです。
由来については定本より。
「明治二八年一○月、部落の氏神五十瀬神社に神楽を奉納するため、氏子総代の植田喜作が庭元となり、羽田の鴬沢神楽から師匠を招き指導を受け、小田代神楽を創設した。
初代庭元植田喜作、二代及川春治、三代及川清志四郎、四代~五代及川篤男である。」
とあります。初代の植田喜作が指導を受けたのは菅原金之丞とあるが、金之丞は千葉栄佐衛門とともに瀬台野神楽を立ち上げた人物であり、後年田原の蟹沢に婿入りして蟹沢神楽を創設し、周辺の地域にも神楽指導をした。
そして今回第六代目を相伝したのが及川章さんです。
系統譜からみれば瀬台野神楽~蟹沢神楽~鶯沢神楽~小田代神楽となっていますが、小田代神楽の口伝によると胆沢下幅からの伝授という説もあるそうです。
ところで、このたび六代目相伝となった経緯は次のようなことということ。
小田代神楽では昭和の後半期に神楽が停滞していた時期があり、その後平成15年に現会長始め有志の皆さんが隣の地区にある小河原流和田神楽から指導を受けて幕神楽を復活させて今日の相伝を迎えたということです。
この和田神楽は、昭和7年に川内神楽や小田代神楽の指導を受けて創設したとありますので、小田代神楽にとってはかつての弟子神楽の助けを得て再興ということになります。これは他の神楽団体でもよくあることです。
さて八幡舞は、応神天皇と神宮皇后の間に生まれた誉田別命(応神天皇)と品夜別命の本地を語る内容となっています。
応神天皇は母親である神宮皇后の胎内に居る時に朝鮮出兵し、帰国後は日本平定のため強力な武力をもって平らげて安き国造りをしたという神様です。
で、この舞はその兄弟神の話を語りながら、災厄消除、病魔退散、五穀豊穣などの願主満足を成就させたもうことを祈願しての神楽となっています。
面を外して幕前に二人が並び立ち言い立てになる。
「そもそも八幡大神の由来を詳しく解き尋ね奉るに、御父をば仲哀天皇と申し奉るに。御母をば神功皇后と申し奉るに、御仲睦まじく生ませたもう御子をば。他の国より我が国。他の人より我が人、恵み合わせし神妙の御神徳ありがたさんよう。ありがたし貴ぶべし謹むべし世々の不情けは祓いの神 弓矢を取ってはうつの神」
次いで胴取りが受けて
「はあ、我こそ八幡大神なりさんよう」
ところで、この日は大変風の強い日で、次の演目は山の神でしたが、急遽会場をいつもの小田代コミュニティセンター内に変更しました。
動画でどうぞ。(風の音が凄いです、ご了承ください)
