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2015.11.19 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

鶯沢神楽 弁慶安宅の関@鶯沢八幡神社大祭

さて本日は、鶯沢八幡神社大祭から鶯沢神楽さんの弁慶安宅の関についてです。

その前達に鶯沢神楽さんの由来について

「明治初年、玉井豊之助、小野寺久五郎の両人が世話人となり、岩手県西磐井郡萩荘村達古袋神楽の師匠を招き、神楽の伝授を受け日向神楽を創股した。
戦前、戦後舞方が少なくなり中断していたが昭和三九年、町教育委員会が郷土芸能後継者盤成識習会を開催した。講師は小野寺捨男、小野寺東策の両師匠の指導であった。
これを機に鴬沢神楽保存会を組織し現在に至る。
なお、明治一八年、二○年の二回にわたり、伊勢神宮に神楽を奉納したという。
また、大正年間、田谷神楽(江刺市愛宕)の指導をしたともいわれている。
初代庭元玉井豊之助、現在の庭元岸湊は六代目である。」

ということなそうです。現在の代表者は高橋長人さんです。



幕出し唄で始まります
〽 センヤーハー 義経はホー 高舘さして 早急ぐホー 早急ぐホー

義経公が弁慶ともども都落ちする場面です。

「しかるに兄頼朝殿は 誰の讒言か知らねども、今はこの判官をなきものにせんと 
 これが血を分けし兄弟か ああ口惜しや 無念なり 涙が先んじ 情けなや」

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弁慶さん 
「しからば平泉さしての下向御伴仕る」

IMG_7002.jpg

義経一行が山伏姿に身をやつして、密かに北陸路を抜けて奥州へと行く道すがら、安宅の関で検分にあいます。
関守の富樫泰家に義経主従と怪しまれ、疑いを晴らすため、弁慶が東大寺建立の勧進帳を空読みします。

IMG_7008.jpg

富樫の家来が、剛力姿をしたもの判官殿によく似たりと進言したため富樫は義経の顔改めをします。
これに危機を覚えた弁慶が、涙を呑んで義経を未熟者めと強打します。

IMG_7013.jpg

数々の疑問はあるものの、山伏一行を義経主従と見破った富樫左衛門尉ですが、武士の情けで通すことに気めます。
山伏先達を武蔵坊弁慶と見破りながらも大法師と呼びかける心遣いに神楽の観衆も惜しみない拍手を送ります。

「彼も武士なら我も武士。ここで、判官殿に縄をかけるのは容易けれど、ここが武士の情けのかけどころ」

IMG_7014_201511192056330a2.jpg

からくも関所を抜けた義経主従ですが、弁慶が主人に手を上げたことを詫びて切腹しようとします。
義経それを押しとどめ涙ながらに諭します。

〽 屋島の戦に継信が、吉野の山では忠信が いずれも我の身代わりに死せり  この判官 汝に命を託すなり

IMG_7016.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2015.11.19 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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