栗原神楽 蓮生坊童子拾い上げの場@第38回平野神社奉納神楽大会
今日はから第38回平野神社奉納神楽大会トリをつとめました栗原神楽さんの蓮生坊童子拾い上げの場です。
栗原神楽さんの由来については定本より
「明治一二年三月三一日、栗原悦之助が神道事務局に神楽の届出し承認を得た文書がある。
岩手県萩荘村市野々の自鏡山山伏神楽の指導を得たといわれている。
大正時代に復活、中断した。昭和五年、栗原の佐藤正吉が指導し再興する。その弟子代表の佐藤左吉に引継がれ現在に至っている。初代庭元栗原悦之助が中断後を再興した。」とあります。
現在の代表者は佐藤敬さんです。
さて、栗原神楽さんは昨年のこの大会で優勝しておりましたので、本日の神楽大会の審査の間に特別上演という形でもう一演目出したという訳です。
この優勝チームの審査中上演は、どこのチームでも一捻り利いた演目を出してくるようです。
今回も、法童丸モノの中から「蓮生坊子拾いの場」というレアな部分を若い舞手中心に出してきました。さすがです。
この演目は源平の戦いで、一の谷で熊谷次郎直実(後の蓮生坊)に首を討ち取られた平敦盛の一子法童丸を、奇しくも親の敵である直実が拾い上げるという悲劇の場面です。
法然上人です。
蓮生坊を伴って、京都の加茂の明神に参詣にやってまいります。
蓮生坊です
加茂の明神のお告げにより、下り松の下に捨て子があるのを見つけます
黄金造りの短剣を枕にしているのを見受けて、さぞかし高貴なお子と見受けたりと拾い上げることにします。
蓮生坊が拾い上げてみれば、自らが手に掛けた平敦盛の面差しによく似たりと思い、顛末を法然上人に告げに行きます。
法然上人は、この子を拾い上げたのは加茂の明神のお導きであると説き、赤子の名前を自らの名前「法然」から一字を取って「法童丸」と名づけて養育することにしました。
動画でどうぞ。
