長下田神楽 屋島合戦忠信兄継信尋ねの場@第38回平野神社奉納神楽大会
本日は長下田神楽さんの忠信、兄継信尋ねの場についてです。
その前に、長下田神楽さんの由来について
「明治26年(1893)、岩手県西磐井郡花泉町の上油田神楽の南部神楽師 佐藤和三郎を師匠に招き、五穀豊穣を祈願して「橋向神楽」として創設されましたが、その後、二つに分かれ、昭和24年(1949)池田清治を師匠に「長下田神楽」として継承され、現在に至っています。」
とあります。現在の代表は猪股一雄さんです。
舞台は屋島合戦の激戦のさなか、大将同士の戦の場面です。
平家方の大将能登守平教経は弓の名人と言われていました。
わっぱの菊王から受け取った管矢にて、源氏の武将佐藤継信を討ち取った、次は判官義経を射つなりと気炎を上げます。
日が暮れて戦も一段落した所で、義経が家来衆を眺むるに、側近の佐藤継信の姿が見えないことに気づき、弟の忠信に捜索を命じます。
「頃は弥生の三十日の晩、暗さも暗いよ、見て見えず。空に紫雲たなびき星一つだに無し。ここはいずこぞ、皆敵の国」と詠いながら捜す忠信。
はるか砂浜の向こうから兄の呼ぶ声が。
兄を探し当てたが瀕死の様子。
弟忠信に抱えられながら「主君義経公に会いたい」と思いを語ります。
動画でどうぞ。
