南沢神楽 安宅の関@東北神楽大会
さて、本日は南沢神楽さんの安宅の関についてです。
その前に、南沢神楽さんの由来について定本より
「明治初期、市野々に本郷神楽が組織され、市野々神楽の本流となったが昭和初期衰退した。
昭和一五年、金野米右エ門が宮元になり、本郷神楽の千葉秀雄師匠を招き神楽の指導を受け、南沢神楽を創設した。戦前は蘇武運一郎師匠が、戦後は蘇武榮登師匠が指導に当り現在に到っている。
初代宮元金野米右エ門、二代佐藤匡美、三代蘇武栄、四代蘇武秋男である。
蘇武運一郎は神楽の師匠であると同時に神楽面師でもある。また、岩手県南宮城県北神楽大会の審査員を二○年にわたり勤め感謝状を授けている。」
とありますが、現在の代表は佐藤耕三さんです。
この日、第65回東北神楽大会において南沢神楽さんは優勝の栄冠に輝きました。おめでとうございました。
文治元年四月、一の谷、屋嶋と壇ノ浦の戦いで平家を壊滅した義経は、源氏方の梶原景時の讒言によって兄頼朝の追捕令を受ける身となり、もはや西国に居ることはできず、傷心の身を抱きながら、山伏姿に身を変えて懐かしの平泉をさして都を後にした。
山伏姿に身を装い北陸路を東国に下る。安宅の関所にさしかかり、関守の富樫泰家に咎められる。
弁慶が機転の勧進帳を読むも、関守富樫に義経と未悟られて、苦肉の策で主君への強打となる。
関守富樫泰家は、武士の情けでこれを見逃す。
義経主従は関所を抜けて平泉へと落ちていくのでした。
動画でどうぞ。
