館下神楽 熊谷小次郎直家矢負いの場@北辰神社神楽大会
さて本日は館下神楽さんの熊谷小次郎直家矢負いの場についてです。
その前に館下神楽さんの由来を定本より
「昭和五三年四月、田中安雄が庭元となり神楽愛好者数人が、志波姫の刈敷神楽佐藤典雄師匠の指導を受け、舘下神楽を創設した。刈敷神楽は、栗駒町栗原神楽の佐藤正吉師匠の指導により復活したという。
初代庭元田中安雄、現在の庭元曽根英寿は二代目である。」
とあります。館下神楽は築館町の団体で現在の代表者は柳澤良夫さんです。
さて、一ノ谷の戦いでは、義経が鵯越の逆落としをする前夜に、先陣の功を立てんとした平山武者所と熊谷次郎直実親子が、先陣争いをするということが起こりました。
平山季重さん
まあ、一言で言うと、源義経が平家に奇襲をかけるべく鵯越の逆落としを決意したものの、奇襲と在っては誰が先陣の功をなしたかわからない、そこで熊谷次郎直実は一計を案じて抜け駆け的に先回りして払暁の平家陣屋を襲うのですが、そこへ平山季重も馳せ参じて親子ともども先陣争いをするハメになったということです。
で、実戦が始まると、直家は激戦の中、矢負いの身となります。.
そこへ通りかかった直実に、手負いの矢を抜いてくれろとうったえますが、父親である直実は、「敵将看視の中で、いずくんぞ自らの息子の矢を抜いておけんや」と豪語し、泣く泣く息子の直家の矢を抜くこと無く声を掛けます。
直家は、己の不明を恥じながら、源氏再興のためと、矢追の身ながら敵陣へ切り込んでいくのでした。
動画でどうぞ。
