富沢神楽 扇の的@北辰神社神楽大会
さて、本日は北辰神社神楽大会から富沢神楽さんの扇の的についてです。
その前に富沢神楽さんの由来については定本から
「明治二○年頃、蕎麦沢の佐藤林之丞が庭元となり、西磐井郡金沢村飯倉神楽の小野寺忠七師匠(飯倉から真滝小林に婿養子に来た人)を招き、部落の若者達に神楽の指導を行ない富沢神楽を創設した。
明治時代、初期の人達が二期、三期と舞人の養成を図ったが大正初期に絶えた。
昭和三年、佐藤民治が発起人となり佐藤甚之助が庭元となり、飯倉神楽より高橋衛師匠を招き佐藤民治と共に神楽の指導を行ない、富沢神楽を再興した。
初代庭元佐藤林之丞、二代三代佐藤甚之助、四代佐藤利男、五代千葉清人、六代佐藤登である。」
とありますが、現代の代表者は佐藤徹さんです。
屋島の浜に立つ義経さんです。
平家が小舟に女官を乗せて源氏方の陣の沖に浮かべた真意を図りかねています。
義経の家臣後藤兵衛実基が那須与一宗高を推挙し義経の前に呼び出します。
義経は那須与一に扇の的を射て平家武者に見せつけよと命じます。
那須与一は、折からの強風と波立つ海を前にして弓を射ることをためらいます。
〽 船は木の葉の舞う如し
しかしながら、後にひくこともできないため、八幡大菩薩と故郷の日光権現那須の大明神に願をかけます。
〽 波よ静まれ 風よ凪げ 世の神々よ助けたまえと祈るなり
すると、神のご加護か風おさまり、波静かになる
〽 東より四国屋島のもとに来て 扇の的に会うぞうれしや
乾坤一擲 見事矢は扇の的を射抜くのでした
動画でどうぞ。
