原体剣舞 @ みちのく盂蘭盆まつり
さて、本日は「みちのく盂蘭盆まつり」から原体剣舞について
その前に、原体剣舞さんの由来について
「慶應元年(1865年) に同じ江刺の増沢剣舞から伝わったという。その後大正8年6月に当地を訪れた宮沢賢治が記した長詩「原体剣舞連」によって広く知られるようになった」
ということです。
伝説では藤原清衡が豊田館に在所した時に清原家衡の襲撃を受けて一族郎党が皆殺しとなった時の怨霊を供養するために始まったと言われています。清衡の亡き妻と子の怨霊供養のため特に女子と稚児の演ずる剣舞になったと言われています。
六字名号を書いた高張提灯が先導して蔵の町岩谷堂を進みます。
入り込むと直ぐに跳ね人が力強くも厳かに胴をとります。
江刺の(念仏)剣舞は、衣川の川西大念仏剣舞のように亡霊済度という観念がなく、念仏によって先祖精霊を慰め、反閇等の所作によって大地を鎮め、ゆきては来る秋の豊作を願う踊りのように思えます。
これは、スンボウ(信坊子)で、サルコの黒面をつけ、右手に唐団扇、左手に杖を持って他の舞手と対峙して踊ります。
舞手は六人(この日は八人)が、頭に鳥毛采をつけ、右手に扇、左手にメンボウ(金剛杖)を持ち、腰の後ろに鬼面を結わえ付けている。この鬼面は元は顔につけていたということです。
原体剣舞は奥州市江刺区南東部に位置する原体地区の子供たちによって伝承され、戦中及び終戦後の一時期中断したものお昭和34年に復活。その後に旧石原小学校で小学校高学年が教育活動の一環としてが剣舞に取り組み、その後は統合された田原小学校で伝承活動を継続している。
ところで、女の子のササラ摺りと鉦打ちは後からついたもののようです。
江刺には念仏剣舞の他に大念仏系の念仏踊りがあり、これにササラ等がついていたものが習合したようです。
動画でどうぞ。
