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2015.08.30 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

うぐいす沢神楽  高山掃部長者 @第40回胆江神楽大会

さて、本日は第40回胆江神楽大会から、うぐいす沢神楽さんの高山掃部長者(たかやまかもんちょうじゃ)についてです。

うぐいす沢神楽さんの由来について「瀬台野系神楽口唱歌誌」他から

「明治26年8月12日鎮座山神神社奉納神楽として創設された。その後第四代まで続いたが継続することが困難となり、昭和13年に神楽供養碑を建立して活動休止となる。
その背景には時代の趨勢で、舞台手踊や新派劇団の組織と戦争態勢になったため活動が困難になったということです。
昭和63年、地域民から復活の声が高まり川内神楽保存会3代目師匠の指導を得て復活したが、舞手が高齢化して演目も限られたものとなった。
平成8年に地域の若者を募り稽古をすすめ、平成12年に舞台披露の伝承式典を開催し、幕神楽を充実して今日に至る。
初代座元佐藤清三郎、二代佐藤清左衛門、三代佐藤清次郎、四代今野武之進」
ということで、現在の代表者は佐藤満雄さんです。



演目はご当地奥州市水沢区の北西部周辺に依拠した高山掃部長者にまつわる伝説です。

掃部長者の先祖は、長随彦の尊の兄、安日の尊だと言われており、数代の後に安部の姓を賜りました。安部頼時の長男日井(安部貞任の兄)は生まれながらの盲目でした。このため代を継がずその子高日が胆沢に住み暮らしておりました。星変わり、月変わり高出掃部長者の時代に豪農となり東の国でも名高い長者様になりました。

掃部長者さん

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奥方の三沢御前

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正元元年、奥州一円は大飢饉におそわれ、餓死するもの数知れず、飢饉は翌年まで続いたため、近隣の民百姓は長者にお願いして、倉を開けてその金銭、五穀を分けてくださいと懇願しました。
 掃部長者の妻三沢御前は、大変欲深く、無道な女で「もう少しで三国一の長者となるところ、決して分けてはならぬ。」と反対しました。
 掃部長者は、民百姓の困窮する姿と見るに忍びず、妻を離縁して倉を開け、民百姓に分け与えて救いました。

(民百姓は道化支度で舞います)

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三沢御前は大変欲が深い人で、屋敷の裏の鯉を味噌焼きにして食べたところあまりにもうまかったので、誰にも分けずに一人で全部食べてしまった。そのため、余りにも喉が乾くので遂には池の水を全部飲み干したところ、恐ろしい大蛇に化身したという伝説もあります。(強欲はならぬという箴言ですね)

IMG_5078_201508291633593c4.jpg

三沢御前は、悔しさから大蛇に変わってしまい、長者を殺して民百姓に乱暴します。民百姓は鍬や茣蓙で応戦します。

IMG_5083.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2015.08.30 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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