川内神楽 八岐大蛇退治 @第40回胆江神楽大会
さて、本日は第40回胆江神楽大会から川内神楽さんの八岐大蛇退治についてです。
川内神楽さんの由来について (ちなみに奥州市江刺区の団体です。)
「明治三九年八月、伊藤捨七、佐藤善左エ門が世話人となり、瀬台野神楽より伝承された羽田町(現水沢区羽田)の鴬沢神楽の金野忠三郎、菅原常之助両師匠を招請し、伊藤金蔵、菊地庄左エ門、伊藤喜兵衛、伊藤庄蔵、伊藤千百治、菊地用作等が指導を受けて、川内神楽を創設した。川内部落に鎮座する八幡神社の奉納神楽となっている。
その後、大正二年に藤里村横瀬、大正五年に田原村原体、大正六年に東磐井郡興田市之通、昭和七年に玉里和田の各神楽に指導伝授した。
以来昭和八年に二代目継承、昭和48年に現在の三代目に継承された。現代表は伊藤守となっている」
さて、演目は八岐大蛇ですが、川内神楽では吊るし八岐による演出と、もう一つこの日演じられた「提灯八岐」と呼ばれる巨大な蛇身を使ったダイナミックな演出とがあります。
最初に素戔嗚尊が出て渡り拍子で一舞
〽 八雲立つ いーいー 雲の八重垣 いーいー よーい 雲の八重垣妻籠めて いーいー よーい
次に足名椎、手名椎、稲田姫が出ます。
ここで、素戔嗚尊と蘇民将来の問答になりますが、実は瀬台野系神楽台本では八岐大蛇は二段構えになっています。
八岐大蛇退治と本八岐大蛇退治で、前者は素戔嗚尊と蘇民将来の問答により素戔嗚尊が肥の川上に行くまでで、後者は足名椎親子と対面し大蛇退治をする場面です。
すなわち、この日の舞台は蘇民将来と足名椎が一人二役になった形です。
閑話休題
で、素戔嗚尊は足名椎に一策を授けた上に大蛇退治を始めます。
村人が酒樽を持って大蛇の前に据えます。
さて、大蛇です。島根県から買い求めたそうです。
口からは花火が火を吹き、舞台にはスモークがたかれます。「こいず(八岐大蛇)は室内ではでぎねのっしゃ」と言っていました。
素戔嗚尊が悪戦苦闘の末に大蛇の首を取り、見事退治を果たします。
「おう この素戔嗚尊 大蛇退治をしたりやのう」
動画でどうぞ。
