神止り七福神舞 @第5回三陸海の盆in気仙沼
さて、本日は三陸海の盆から神止り七福神舞についてです。正式には小鯖神止(かどま)り七福神舞といい、昭和53年に唐桑町(現気仙沼市)指定無形文化財となっています。
由来については次のとおりです。
「中国は唐の時代に、桑の木を満載した船が嵐に遭って難破、積荷がこの地の海辺に流れ着くという事件がありました。これが唐桑の呼び名の由来であると伝えられています。
さて、七福神舞は、はじめは村の古老たちに よって、祝いの宴席で、「夷(恵比須・恵比寿)」、「大黑天」、「布袋」、「福祿寺」、「昆沙門 天(昆舍門天)」「弁才天(升財天)」、「寿老人」 の七神の一体一体が、独立して舞われていました。しかし、七福神が揃って宝船に乗った姿が、とりわけ漁民の心を引きつけ、海運守護、 さらには繁栄をもたらすものと信じられるよう になったようです。
戦後間もない、昭和二十三年頃、当時の唐桑 は漁業が大きく発展し、漁民たちは遥か遠洋まで、活躍の舞台を広げていました。そして、留 守を預かる妻たちは、ただひたすら夫の、そし て息子の航海の安全と大漁、そして無事な帰港 とを祈り続けていたのです。
こうした女たちの願いが、古来の七福神舞と 結びつき、やがて、笛を除き、はやし方、舞い方、歌い方、太鼓などすべて女性だけの「七福 神舞」が生まれます。それが、今日に伝わる 「神止り七福神舞」なのです。」
ということなそうです。
震災の年の12月に、NHKアーカイブスの番組で1973年6月4日放送の新日本紀行「唐桑の七福神 ~宮城・気仙沼~」が流れました。
長い漁に出た男たちのいない地域の秩序結束を高めるために様々な習俗と、七福神舞によってお互いに支えあって生きていく姿が伝えられました。
七福神舞は信仰であり、また娯楽であり、絆の証でもあったのだろうと思います。
七福神舞は七人の神様が順に踊り出て、唄と囃子に合わせて舞いますが、神止り七福神舞と同じく唐桑の只越七福神舞の唄の最後は訪れた家の家主に宝を渡して予祝する内容になっています。
〽 これ程のおん宝 これ程のおん宝 誰様に譲るべ 彼様に譲るべ
これはこちらのお旦那様に 万々と譲った
と、大黒様が宝袋を家主に投げ渡すというものです。めでたしめでたし。
動画でどうぞ。
