皆白行山流三ケ尻鹿踊 礼舞前庭 @ 第54回北上みちのく芸能まつり
さて、本日は第54回北上・みちのく芸能まつりから皆白行山流三ケ尻鹿踊についてです。
由来について、
慶安2年7月に、駿河の飛鳥川常利が富士山麓で遊ぶ鹿を見て始めたという鹿踊を、三つの流派に分けて伝授したという。
すなわち、麓行山の踊りを小川利春に、流行山の踊りを青田利久に、そして源行山の踊りを石亀利具に伝授した。
その後、元禄初期に仙台領本吉郡水戸部村の伊藤伴内持遠が行山流を広く伝授し、その弟子・入谷村の四郎兵衛から登米郡中田町の治三郎に伝授され、以後、上胆沢郡上野村徳岡-上胆沢郡佐野村、そして七代目の師匠である胆沢郡八幡村(水沢区佐倉河)の万之助によって文政9年に三ケ尻田中屋敷の卯兵衛に伝授された。
装束は、前幕の咽印が中立・雌鹿が朱の九曜紋で他は井桁に白抜きの九曜紋。
横幕は中立・雌鹿が朱の九曜紋に鶴丸・三つ巴・扇と幕裾には波に兎が入る。
袴は中立ち・雌鹿が五色の総市松で他は御所車。
ナガシは中立が皆白行山の文字の下に五穀成就、その下に水瓶と童子の絵が入り、雌鹿は鹿に紅葉。他は大蛇と戦う武者絵になる。
特徴としてはササラの根本に紺地に白抜きの九曜紋を染めた布を巻いて下げること。
三ケ尻鹿踊の演目には、礼舞と役踊りと鹿島の三種があり、礼舞には前庭と後庭がある。
太鼓の調べの歌きりの後、庭誉め 〽 これのお庭を見申せば 黄金まじりの白砂の庭 がかかる
続いて、錣の舞となり、中立の一人舞となりますが、独特の足捌きにご注目ください。千鳥足で前後しながら足裏を返すという難しい所作をします。
蝉時雨の中に太鼓の音だけが響き、正に夏踊りといった感があります。
動画でどうぞ。
