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2015.08.06 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

栗原神楽 牛若丸鞍馬入り 源義経公生誕850年祭 平成27年7月27日

さて、本日は「源義経公生誕856年祭」から、奉納神楽である「牛若丸鞍馬入り」についてです。

今回の義経公生誕祭では、はるか遠くの京都鞍馬寺から副貫主をお呼びしたことも在って、自ずと義経と鞍馬寺の因縁を深く思う場面となりました。

南部神楽では、源義経に関する演目は数多くありましたが、この演目は義経ものの最初の演目であり、幼き義経(牛若丸)を抱えて、平氏の追求を逃れるために鞍馬寺に預ける場面です。

源氏の棟梁、源義朝の側室でありながら、平治の乱で夫を亡くし、その後は敵方の平清盛に身を寄せる等屈辱的な人生を歩みながらも、源氏再興を願って我が子たちを生き延びらせることに腐心したことを南部神楽の台本では強調している。
この後の南部神楽での義経関連の演目は、鞍馬山での天狗との修行、五條の橋での弁慶との出会い、平泉へと行く途中の鏡が宿の場、奥州平泉での藤原秀衡との対面、兄頼朝の出陣に際して自らの家臣を集める継信忠信出陣の場、一の谷、屋島合戦、奥州平泉へと落ち延びていく安宅の関そして高舘落城の寸前の月見坂の受難まで数多くの物語を擁する。
これ程までにみちのくの民は不遇の貴公子義経を敬慕してやまないのである。



さて、そんな中の「牛若丸鞍馬入り」は、奥浄瑠璃の常盤御前鞍馬破りを底本にした構成となっています。
従者を連れた常盤御前が牛若丸を鞍馬山へと預けるため、修行僧との問答に打ち勝つ場面を描いています。

かくして、鞍馬寺に牛若丸を預けることになり、千代の御神楽で舞い納めます。

IMG_3822.jpg

ところで、義経生誕祭は栗原寺にて午前中で終わりましたが、昼食後にその後のイベントが控えておりました。

栗原寺から西北に12kmほど行った所、旧栗駒小学校の裏山に義経を祀ったという判官森がある。

ここは、源義経が平泉においての旧知である沼倉小次郎高次が、高館落城の折、義経の胴体を運び出してこの小高い山に埋葬したと伝えられているところである。

以来、地元の民衆には「義経しのび参り」として参拝する慣習が伝承されてきたということである。
すなわち、今でも栗駒の人々の心の中には源九郎義経が生き生きと輝いているのである。


IMG_3832.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2015.08.06 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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