富沢神楽 法童丸母子対面の場 @ 第38回みちのく神楽大会
さて、本日は、富沢神楽さんの法童丸母子対面の場からです。
富沢神楽さんの由来については定本から
「明治二○年頃、蕎麦沢の佐藤林之丞が庭元となり、西磐井郡金沢村飯倉神楽の小野寺忠七師匠(飯倉から真滝小林に婿養子に来た人)を招き、部落の若者達に神楽の指導を行ない富沢神楽を創設した。
明治時代、初期の人達が二期、三期と舞人の養成を図ったが大正初期に絶えた。
昭和三年、佐藤民治が発起人となり佐藤甚之助が庭元となり、飯倉神楽より高橋衛師匠を招き佐藤民治と共に神楽の指導を行ない、富沢神楽を再興した。
初代庭元佐藤林之丞、二代三代佐藤甚之助、四代佐藤利男、五代千葉清人、六代佐藤登である。」
とありますが、現在の代表者は佐藤徹さんです。
さて、演目は心ならずも敦盛を討った熊谷次郎直実が敦盛りを葬った後、法然の弟子となり出家した。
そして、京都加茂の明神下り松の根元で黄金造りの短刀を枕に捨てられていた幼子を拾い、その子を法童丸と名付け育てた。
法童丸が七歳になったある日、あまりに母を恋しがるので玉織姫と対面させることになった。
母玉織姫は、法童丸の父親は平敦盛といい、父の仇はそこにいる連生坊熊谷次郎直実だと教える。
法童丸は悩んだ末に父の仇と連生坊に斬りかかる。
ここでの連生坊の畳み掛けるような科白がこの演目のクライマックスといえます。大変迫力があります。
連生坊の諭す言葉に納得した法童丸は、法然上人とともに父の墓所である一の谷へ行くことになります。
動画でどうぞ。
