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2015.07.22 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

館下神楽 河津三郎祐泰最期の場@第38回みちのく神楽大会

さて、本日は館下神楽さんの河津三郎祐泰最期の場についてです。

その前に館下神楽さんの由来を定本より

「昭和五三年四月、田中安雄が庭元となり神楽愛好者数人が、志波姫の刈敷神楽佐藤典雄師匠の指導を受け、舘下神楽を創設した。刈敷神楽は、栗駒町栗原神楽の佐藤正吉師匠の指導により復活したという。
初代庭元田中安雄、現在の庭元曽根英寿は二代目である。」

とあります。館下神楽は築館町の団体で現在の代表者は柳澤良夫さんです。



演目の河津三郎祐泰最期の場は、曽我兄弟物語の冒頭部分の一場面です。

河津三郎祐泰さんです。
鎌倉頼朝公が富士の裾野の巻狩の際に、河津祐親(父)祐清(弟)も出陣した。

DSC03916.jpg

一方工藤左エ門尉祐経は、自分の親が殺され、しかも領地まで奪われた仇敵河津親子を家来の八幡三郎行氏に巻狩の帰路に遠矢にて射止めよと指示する。
祐泰は数々の獲物を射止め馬上にて帰路の時、赤沢山で待ち伏せしている八幡三郎の遠矢に射られた。

DSC03920.jpg

通りかかった父祐親・弟祐清に支えられ、手当を受けたが急所を撃ちぬかれたがため命を落とすことになります。

DSC03922.jpg

河津三郎祐泰は、今わの際に、最期の願いとして妻子の養育を頼み行きを引き取ったという場面です。
そして、物語は河津三郎の息子の一萬丸と箱王丸(曽我兄弟)の仇討ちの物語へと続いていきます。

DSC03926.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2015.07.22 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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