富沢神楽 法童丸母子対面の場1516
さて、本日は富沢神楽さんの 法童丸母子対面の場についてです。
その前に、富沢神楽さんの由来について定本から
「明治二○年頃、蕎麦沢の佐藤林之丞が庭元となり、西磐井郡金沢村飯倉神楽の小野寺忠七師匠(飯倉から真滝小林に婿養子に来た人)を招き、部落の若者達に神楽の指導を行ない富沢神楽を創設した。
明治時代、初期の人達が二期、三期と舞人の養成を図ったが大正初期に絶えた。
昭和三年、佐藤民治が発起人となり佐藤甚之助が庭元となり、飯倉神楽より高橋衛師匠を招き佐藤民治と共に神楽の指導を行ない、富沢神楽を再興した。
初代庭元佐藤林之丞、二代三代佐藤甚之助、四代佐藤利男、五代千葉清人、六代佐藤登である。」
とありますが、現代の代表者は佐藤徹さんです。
さて、演目は心ならずも敦盛を討った熊谷次郎直実が敦盛を葬った後出家して蓮生坊と名乗った。
蓮生坊は法然上人の弟子となり、加茂の明神下り松の下で拾った敦盛の子法童丸を七歳になるまで育て上げた。
ところが、法童丸があまりに母を恋しがるので都の辻に高札を立てて法童丸の母親を探すことになります。
そして、加茂の明神で名乗り出た玉織姫に対面します。
そして、親子で話す内に、玉織姫は法童丸の実の父親は蓮生坊に討たれたのだと告げると法童丸は驚く。
しかして、法童丸は、連生坊こと熊谷次郎直実と真実をわかちあい、己が運命を識るのでした。
最後は慶びの御神楽となります。
動画でどうぞ。
