阿久戸神楽 小次郎直家先陣争いと矢負いの場 @神楽共演石越大会
さて本日は阿久戸神楽さんの「一谷嫩軍記」から「小次郎直家先陣争いと矢負いの場 」についてです。
その前に、阿久戸神楽さんの由来について
「明治中期、佐藤宗治が庭元となり南部神楽系城生野神楽の小野寺直師匠より神楽を伝授され、堀口神楽を創設した。戦時中一時中断したが、昭和四九年一二月有志により復活し、阿久戸神楽と改称した。
初代庭元佐藤宗治、現在の庭元佐藤錦は五代目である。」
とあります。現在の代表は村山栄利さんです。
胴取は、佐藤錦さんです。
さて、直実先陣争いの段物は、よく知られる一ノ谷の敦盛直実の前段ともいうべき話で、平山武者所との確執の発端ともなったエピソードです。
まあ、一言で言うと、源義経が平家に奇襲をかけるべく鵯越の逆落としを決意したものの、奇襲と在っては誰が先陣の功をなしたかわからない、そこで熊谷次郎直実は一計を案じて抜け駆け的に先回りして払暁の平家陣屋を襲うのですが、そこへ平山季重も馳せ参じて親子ともども先陣争いをするハメになったということです。・・・身も蓋も無い解説だなぁ・・・スミマセン
平山季重さん
熊谷次郎直実が一子 小次郎直家
激戦の中で小次郎直家は平家方の猛将悪七兵衛景清の強弓に撃ちぬかれて瀕死の重傷を負います。
そこへ駆けつけた父直実に、己が体に刺さった矢を抜いてくれと懇願しますが父直実は、先陣争いをするからには先矢を受けるは武門の誉れ、敵味方の環視の前で、親子といえど武士が矢を抜いて戦線離脱させるのは恥といい、直家に死しても先駆けを続けよと、涙ながらに励まします。(このへんが口説の佳境、愁嘆です)
直家は立ち上がり、深手の身を顧みず敵軍へと向かって討ち死にするのでした。享年16歳・・・・
(とありますが、史実では直家は回復して奥州攻めに参戦し、その活躍ぶりから源頼朝に「本朝無双の勇士なり」と賞賛されています)
動画でどうぞ。
