小迫の延年3 獅子舞
さて、本日は小迫の延年から獅子舞についてです。
献膳の後、獅子舞から始まるのが延年といわれるもので、白山神社の鳥居横にある土壇で行われます。
この土壇は坂上田村麻呂が賊長を成敗した時にその首を埋めたところだという伝説もあり、脇に開いている大穴は土壇を盛る時に掘ったあとだとも・・・
さて、獅子舞ですが小迫白山神社総代会・小迫延年保存会作成のパンフレットより抜粋
「先ず初めに一山の邪気を払う悪魔払いの獅子舞です。笛、太鼓の御請楽に合わせて二人立ちの獅子と道化面をつけた獅子愛しが長床から出て舞いながら芝舞台に上がります。
獅子愛しは、右手に錫杖、左手に御幣束、獅子がくわえている長い白帯の端を持って捩りながら後ろ向きに獅子を誘って舞台へ上がって行きます。
獅子は、権現頭風の顔付きをした赤銅色で、目尻がつり上がった金色の目玉をしていて金歯も大きく、どこか愛嬌のあるやさしい顔をしています。獅子の幌幕は茶色地で、ありきたりの巻き毛を散らした模様をつけています。
特徴があるのは、獅子愛しの扮装です。額に意外に真っ当な顔をした白面の道化面を上げて、頭には頬かむりをしています。顔は丸いが鼻が低く、薄く鼻髭をはやし、少しおちょぼ口をしていますが、火を吹く釜男風ではなく、頬が豊かでえくばがあります。
そして、背中に丸茄子や金銀の房のついた赤瓢箪に梅の花を散らした模様、前形には赤と緑の唐辛子と茄子やお椀の模様をあしらった白地の「つんぬき」を羽織っています。
芝舞台へ上がってひと舞した獅子は、ゴザの上に頭を西向き、尾を東にして寝そべってしまう。獅子愛しは御幣束を地面に突き立て獅子頭の前にあぐらをかいて大げさなしぐさでかしわ手を行つと、左腕を右手で支えて持ち上げて見せたりして、四方を拝みます。これは、男根をいきり立たせる仕草で、五穀豊穣を祈願するお呪いであろうと言われています。両手で藤の皮で作った数珠のようなものを揉むしぐさも見られます。
しばらくして御請楽が、「ちゃれこ舞」という古調の軽快な曲に変わると、獅子は目を覚まして舞い始めます。
それから曲が、「みかぐら」になると、獅子は鳥居の方か芝舞台を降りて、獅子愛しに導かれて舞いながら参道の花道を長床へと帰って行きます。」
さて、この獅子舞は、宮城県内各所にも広く伝承されていて、二人立ちであることと獅子あやしが獅子を統御する様など芸態がほぼ同じようです。
薬莱の法印神楽や加美町の熊野神社における獅子舞は熊野修験が海を渡ってきて伝えたとありますが、小迫で獅子舞が行なわれるようになったのかはわかりません。
小迫の延年の本来の順番では獅子舞は献膳の前に行われていたということです。
つまり、献膳の後にご法楽が始まるので、獅子舞は後の時代になって加わった可能性があります。(全くの推論ですが)
動画でどうぞ。
