小迫の延年 「お山詰め」
さて、本日からは4月5日に行なわれました、宮城県栗原市金成町に鎮座する白山神社例祭についてのリポートです。
小迫祭り、又の名を「小迫の延年」(おばさまのえんねん)と呼ばれている国指定重要無形文化財の祭りです。
個人的には13年ぶりに訪れました。あいにくの小雨でしたが久しぶりに中世の祭りを堪能した感じでした。
まずは、祭りの中心となる白山神社の由来について
「白山神社の創建は、今から1270年前の神亀元年(724年)と伝えられています。
また、征夷大将軍坂上田村麻呂が延暦19年(800年)東北の蝦夷を討伐に来た時、この地に陣を布いた。
その時、崇敬する加賀国石川郡にある白山白山姫神社に武運長久を祈り、東国の蝦夷を速やかに征伐する誓いを立て
る鎮祭を行った。そして、大同2年(807年)に、その報賽としてここに白山社を建て、国家の安寧を祈誓したと伝えられています。
その後、今から約800年ほど前、鎌倉時代の文治二年(1189年)の7月、源頼朝が宿願の奥州平泉を滅ぼすために28万の大軍を率いて藤原泰衡を攻めた時にも、ここに陣を布いて白山神社に戦勝の祈誓を行い、平泉へと侵攻して行きました。
そして秋十月、藤原泰衡を計ち来って鎌倉へ帰還する時にも、再び白山宮に詣でて御札の報賽を行い、数日滞在して戦勝を讃える流鏑馬を催し、将兵を労ったと伝えられています。」
とあります。それ以来連綿と祭りが続いているわけです。
祭り自体は前日祭として、金成の町を神輿が渡御し、その夜は別当の勝大寺本堂を御旅所としてお泊りになる。
翌日昼ごろには本堂で法要が営まれます。
その後、行列の順番が読み上げられて勝大寺の山門を出て、笛太鼓が御請楽を奏でる中、白山神社までの約300mを神輿とともに練り歩く。
これを「お山詰め」というが、神仏混淆の時代の名残を留めている貴重な祭りの形態だと言えます。
白山神社の例祭は、もとは旧暦三月三日で、勝大寺が中心となり、かつて一山衆徒であった成実坊、光実坊、光智坊、正円坊、法橋坊、論教坊、仲大坊、乗月坊、教実坊、堯真坊の十坊と、承仕を勤めた一戸の子孫が「坊中」と呼ばれ祭祀を司ってきたという。
祭りの発祥はともかくとして、早春に例祭が報賽されるため、農耕の予祝としての意味合いの方が地元の人々に深く浸透しているようだ。また、祭りで使われる笠や造花などを田の守りなどに持ち帰るために激しく奪い合い、そのことを作占にも喩えるという習俗があることも意義深い。
動画でどうぞ。
