和賀大乗神楽 三番叟 @慶昌寺公演
さて、本日は和賀大乗神楽さんの三番叟です。
大乗神楽の三番叟は、なかなか見れそうで見れない演目です。
翁舞としていて神舞のうちに入っています。
幕入りは後ろ向きで三番叟が入ると神歌がかかります
〽 上を見たれば賀茂や桂川 下を見たれば近江川 中を見たれば愛染川とて流れける
さればあたのはおさいおさよにとうよこうよ 昔のサルコはあまひょうしに構えた
大乗神楽の三番叟は四つ形目、四方を足で踏む型が多く取り入れられていて、滑稽な舞い振りでありながら反閇でしっかりと踏み鎮めるのが特徴と思われます。
大乗神楽の三番叟にも追っかけと称する真似三番叟がつくことがありますが、森口多里著「岩手県民族芸能史」の「大乗神楽の三番叟」の項にはこう記してあります。
「二子大乗神楽の川辺宇介氏の若かった時代(大正年代)は村々に神楽のファンが多く、巡演の時は神楽組は「山伏だち」と呼ばれて熱狂的に歓迎されたそうである。恒例の巡演地をカスミと称し、北限は和賀郡沢内村貝沢、南限は湯田、我が仙人、杉名沢、大荒沢であった。午後の本神楽には七ッ釜、魔王、女舞(の中から一種)普勝(または薬師)を演じ、夜の11時頃中入となる。
見物衆はこの中の入りを待って賑やかに弁当を開くのが楽しみであった。神楽組にも楽屋でご馳走が出る。中入は十二時半頃まで続く。
中入り後は三番、次いで手踊か茶番狂言をニ幕くらい、それから別に注文がなければ大乗の下と榊を出す。見物衆はこの榊だけは必ず見ることにしていた。最後に権現舞を舞う。
三番のときは、そのあとで見物衆の中から何人かが飛び出して三番叟の前をして舞うて喝采された。これをマネサンバと呼んで慣例のようになっていた。」
当時の賑やかなようすがわかります。
動画でどうぞ。
