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2015.03.30 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

和賀大乗神楽 大乗下 @慶昌寺公演

気温も上がり、水沢公演の桜の蕾もだいぶ緑色になってきました。春だね~。

という訳で、日曜日の午前中は羽田の火防祭を見聞して、その後に北上へ直行です。

毎年恒例の和賀町煤孫の慶昌寺での和賀大乗神楽公演に行ってまいりましたのでそのリポートです。

和賀大乗神楽さんの由来について

「口伝では、約600年前の正和4年(1315年)に慈覚大師の弟子である玉木明介が京都東山の聖護院の門跡として修験修行し、煤孫に帰郷後に貴徳院を開基。後に権大僧都満開山円光法師が創始した神楽とされ、「貴徳院法印神楽」とも呼ばれていました。
嘉永元年(1848年)に、宮城県遠田郡涌谷箆岳の無夷山箆峯寺(天台宗修験兼帯)から大乗神楽が伝承され、嘉永2年(1849年)に南笹間(現花巻市)の高法院を会場に大乗会を開催しました。3年後の嘉永5年には大乗仏教を基にした加持祈祷の舞として「大乗神楽」と改称ざその後、一時中断されていましたが慶応年間に佐藤寅次郎が貴徳院に伝承されていた神楽の復興を願い、妻の父である南笹間の八幡神社別当萬法院(十七世再中興法印)に師事して再興しました。
また、神楽の習練と継承を目指すため、江釣子の自性院や更木,の大福院と協力して発展に貢献すると共に、明治8年と33年に合同による大乗会を催行しています。その後自性院は神楽からは離れてしまっています。
煤孫の大乗神楽は佐藤寅次郎より高橋多喜蔵・武田三蔵・三田市太郎・武田博・鈴木秋尾、亀田正樹、現在の鈴木俊逸と続きます。現在では、元朝に煤孫の古舘神社に奉納し、別当の武田家で舞い始め儀礼を行うほか、毎年3月頃に地元の慶昌寺本堂に於いて「慶昌寺公演」を開催しています。大乗神楽全33演目の内、半数以上の演目を所持しています。」

ということで、現在の代表は鈴木俊逸さんです。



この日は舞台入りを始め全八演目の予定だったのですが、それらに先立って寄せの意味合いも含めて慶昌寺の山門前で大乗の下を奉納することになりました。

舞手はこの4月から高校生になる鈴木智大君です。

IMG_0549.jpg

大乗の下は、大乗神楽二十二番目の演目で、鳥兜に直面で錫杖と扇を採って舞います。
この演目の垂迹神は加茂大明神で本地仏は難勝仏とされています。庭静の国入りのない御神楽で、四方を踏む舞とされていて舞台を清める舞ということなそうです。

それにしても、白雪が残る奥羽山脈をバックに颯爽と神楽を舞う姿は春らしい清々しさに溢れていました。

IMG_0553.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2015.03.30 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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